久々に日記を書く。
私のとても大切な宝物のひとつに「ポムポムプリンのぬいぐるみ」がある。お座りポーズのポムポムプリンの、高さ50〜60センチほどあるそれなりに大きなぬいぐるみで、シャカシャカとしたポリエステルっぽい素材でできている。中には綿が詰まっていてふわふわで、いつだってその触り心地はやさしい。私は彼(?)を子供の頃からプリンちゃんと呼んでいて、人生のいろんな局面で抱きしめてきた。実家を出た今でも、私の部屋にいてもらっている。
プリンちゃんを買ってもらったのは9歳、小学3年生のときだった。地元の東急で売られていた彼を欲しがった私に、母が「かけっこで3位以内に入ったら買ってあげる」と約束してくれたものだった。実際のかけっこの順位は、運動音痴の極みたる私が3位に入ることはできず、堂々のドベだったはずだが、「がんばったで賞」的になんだかんだで買ってもらえた。小学三年生の私には今よりもずっと大きく思えたプリンちゃん。ぎゅっとするとふわふわで、すぐお気に入りになった。ベッドの枕元に置いて、毎晩一緒に眠っていた。
それからというもの、プリンちゃんはいつでも私のそばにいてくれる存在だった。階下の父と母が怒鳴り合う声を、私は2階で弟とプリンちゃんと小さくなって聞いていた。いちど母が、いよいよ父と離婚すると言い出して、父と母どっちについていくか決めておいてねと言われた夜も、プリンちゃんをぎゅっと抱きしめて、その綿に涙を吸ってもらいながら眠った。それ以外も、細かなことは覚えていないけれど、悲しいこと、つらいことがあったとき、プリンちゃんをぎゅっとして眠ったり泣いたりしたことが、何度かあったように思う。そういう思い出が募るほど、私にとってプリンちゃんはかけがえのない存在になっていった。
22歳で大学を卒業し、家を出た。新居に向かう小田急線の中でもプリンちゃんは一緒だった。大きな紙袋に入れて、潰れないように各停に乗って(多分。確か。違ったらごめん、プリンちゃん)、一緒に新しい一歩を踏み出してくれた。そうして昨年、今の家に引っ越すときも、プリンちゃんだけは自分の手で運んだ。プリンちゃんはもう21年一緒にいるぬいぐるみだ。その肌といえるシャカシャカ素材もとても脆くなっていて、ちょっとした衝撃や擦れですぐ破れてしまう。綿もだいぶへたってきているので、引越しトラックに揺られて潰されたりしては困る。そんなわけで私はまたプリンちゃんを紙袋に入れてタクシーで運んだ。当たり前だけど、息子もいぬも、タクシーで一緒に新居に向かった。私にとってのプリンちゃんもまた、そういう存在なのだ。
今も私の部屋の隅で、私を見守ってくれているプリンちゃん。ありがとうね。そしてこれからもずっとよろしくね。なるべく衝撃を与えないように大事にするから、どうか壊れないでずっとそばにいてね。
今日は久々に日記を書く気になり、プリンちゃんのことを書こうと思った。以上がそれである。