2024年1月5日の日記

ngtr
·

 子どもの頃、父と星を見に行ったことがある。

 なんの星を見に行ったのかは、正確には覚えていない。でも確か、数年に一度のナントカ流星群とかだったような気がする。普段は起きていたら叱られてしまうような夜深く、父の運転で湘南の海のほうまで出て行った。当然とても眠たくて、着くまで後部座席でうとうとしながら、それでも普段は見ることがない夜の街の灯りや、しんと静まり返った夜の道路を走る車の音などが、幼い私の心を躍らせていた。

 空いた高速を滑り抜けるうち、街の灯りがだんだん遠くなって、気づいたら街外れの公園のようなところに着いていた。芝生にビニールシートを引いて、タオルケットをかぶって、父と並んで仰向けになって夜空を見た。そうしてこのまま、綺麗な流星群をたくさん見て幼い私はいたく感動し……という話にまとまってくれれば良かったのだが、残念なことに私たちが出てくる間にだいぶ雲が出てきてしまっていて、流れ星は見えなかった。父は少し機嫌を悪くしながらとても残念がっていたけれど、私は流れ星なんか正直ハナからどうでもよく、ちょっぴりお菓子も買ってもらえた深夜のドライブが何より楽しかった。

 父は子どもの頃、宇宙飛行士になりたかったという。でもまあ、結局父はNASAでもJAXAでもなく、普通に会社員をやっている。だけどそのせいか、父は私にとにかく理系に進んで欲しがった。小さい頃から私を上野の国立博物館やお台場の日本科学未来館なんかにたくさん連れて行った。宇宙や科学が好きというよりも、とにかく新しいもの好きだった私にはどれも楽しい思い出だ。お土産に買って帰った宇宙食のパサパサプリンの味や、部屋で育てる水晶キットを台所で育てていたときのワクワクを、今でもよく覚えている。

 たまたまだが、小学校の頃の私は理科が得意科目で、これを父は喜んでいた。まあ小学校の理科なんて、教科書がちゃんと読めて、アルコールランプを点灯する勇気があってべっこう飴を作れれば、そこまで悪い成績にはならない。でも私は算数がとにかく不得意で、二桁の掛け算とか、かなり早い段階でつまずいていた。そんなわけで父はいつも算数のテストを見ては渋い顔をした。国語や社会でいい点を取ってもあまり喜ぶことはなく、算数のテストで間違えたところばかりを気にしていた。(まあ今思えば、本当に病気レベルで算数ができない私を心配してくれていたのだろうとは思うが、子どもの頃はできたテストも褒められないまま間違いばかりを指摘されることが、とても辛かったのだ。)

 算数の二桁の掛け算でつまずくような人間が数学に太刀打ちできるわけもなく、中学に上がってさらにその不出来は深刻なものになった。おまけに理科でもどんどん数字を使うことが増え、理数系の成績はみるみる落ちていった。私の育った地域には理数系専門の高校があって、父は私にとにかくそこに進学して欲しがっていたけれど、そんなの夢物語にすらならないレベルで無理だった。中学3年になり、どう見ても理系への進学は無理とわかった父は、いたく落ち込み、やがて憤り、最終的に怒鳴り散らしながら、言った。

「小さい頃からあんなに色々連れて行ってやったのに」

 博物館も、科学館も、流星群も、つまり父にとっては「投資」だったのだ。私が理系に進めるように、その助けになるように。でもそれを私が叶えられないとわかったとき、父にとってそのすべては「損失」になってしまったわけだ。親心からすればそれだけではないだろうが、当時の私にはそうとしか思えなかった。楽しかった深夜のドライブや、宇宙食のパサパサのプリンの思い出が、その瞬間に全部作為的で偽物めいた何かに変わってしまったようだった。父の期待を裏切った罪悪感と、自分の能力が足らない悔しさと恥ずかしさと情けなさと、自分だけがあさましい勘違いをしていたような居た堪れなさとやり場のない怒りで、当時の私はめちゃくちゃになってしまった。

 他にも様々な、ほんとうに様々な要因が重なって、父とはそのあたりから深い断絶が続いた。怒鳴り合い、ときに暴力に発展し、さらには物が飛び交うような喧嘩を繰り返し、ときどき休戦して、また大喧嘩をして断絶する。それを繰り返して根本的な解決もしないまま、私は社会人になり家を出た。私はいまでもこの頃の喧嘩の癖が抜けず、カッとなるとつい食器をガシャンと置いたり、ドアをバン!と閉めたり、財布やカバンや携帯を机に叩きつけたりしてしまって、そのたびにああまるであの頃の父のようだと自己嫌悪する。

 正月に父に会ったせいか、ふいにこのことを日記に書きたくなった。いまの父は当たり前だがどんどん老いていて、いろんな病気にもなり、身体も精神もみるみるうちに弱って行った。かつての荒々しさは見る影もなく、かつて自分が暴れたときに壁に開けた穴を見てはしょぼしょぼしながら、一生懸命冗談を言い、酒をちびちび舐めて初孫に夢中になっている。私もそんな父とはもう怒鳴り合うこともなく、とはいえ大の仲良しというわけでもない、絶妙な距離感を保ちながらなんやかんややっている。父のことは手放しで好きとはとうてい言えないが、それでも星を見に行ったあの夜の思い出はまだ、私の中できらきらしたまま残り続けていて、それもまた複雑だなあ、と思う。