中学生の頃、死のうと思ったことがある。私は当時吹奏楽部に所属してオーボエを吹いていた。オーボエを吹くにはリードという吹き口が必要なのだけど、そのリードを調整するためのリードナイフというツールを持っていた。刃渡り5cmくらいのナイフだった。それで手首を切って死のうと思った。中学生らしい安直でかわいい希死念慮だ。
その日、学校の成績が悪くて親に怒られていた。当時心の底から大嫌いだった父に腹の立つ叱られ方をした。それで死のうと思った。
……というと、かなり単純で馬鹿な感じがするけれど、今思えばあらゆることの積み重ねだったのだと思う。私にとっての実家は、いつも両親が言い争い、怒号と父が投げた物が飛び交う、いつも暗澹とした重い空気が流れる息苦しい家で、自分の居場所だと感じられるような場所ではなかった。そのくせ学校でも私はうまくやれず、友達も少なかった。冒頭に挙げた部活もサボってばかりでみんなに嫌われていた。だからもう、別に死んでも良いと思っていたのだ。
とりあえず、リードナイフの刃を手首に当てるところまではやった。手首の内側、薄い皮膚に触れた刃の冷たさをよく覚えている。でも私は、そこで一回やめて、なんだか喉が渇いた気がしたから、自分の部屋を出て、台所に水を飲みに行った。リビングのテレビが点いていて、父がひとりで黙ってテレビを睨んでいた。その夜も母と喧嘩をしていたのかもしれない。あまり覚えていない。
そのテレビの中で、竹中直人がなんか変な格好をして変なギャグをやっていた。ギャグの内容すら覚えてないけど、面白いと思った記憶がある。竹中直人ってすごいなあ、こんなにおじさんなのにずっと面白いことやってるんだなあ、なんてことを急に思って、なんとなく死にたい気持ちがそこで、なくなってしまったのだった。
私は部屋に戻ってリードナイフをしまった。もしかしたら最初から本気で死ぬ気なんかなかったのかもしれない。でも、とりあえずその夜、私は生きた。死ぬのはいつでもできるのだから、ほんとうに人生が詰んだ日に死ねばいいとも思った。そうしてそのまま私は生き、ときどき壁にぶつかっては選択肢に死を浮かべつつも、まあもう少し詰んだら考えよう、と思い続け、今年三十になる。日々は六割の面倒と一割の苦難に満ちているけれど、残りの三割にはそれなりの幸せがあったりもする。だから、死ななくていいんだよ。
この日記は、その夜の私のために書き始めたものである。ローカルに書き溜めていたのだけど、気まぐれにちまちまアップロードしたり、消したりしようかなと思っている。