先日、人生で初めて「自己血貯血」をした。これまで耳にしたこともない言葉だが、要は大きな手術などで万一輸血が必要になった場合に備えて、自分の血をあらかじめ採取して病院にストックしておく、というものらしい。一応、やる前には主治医からの同意確認のようなものがある。「まあ強制はできませんが、あんたの場合はやった方がいいですので同意してください」みたいな内容が綴られたプリント3枚に目を通したあと、サインをした。
ところでしかし、私は子供の頃から注射が大・大・大の苦手である。小さい頃は予防接種のたびにべそを書き、大人になった今でも毎年の採血のたびに心臓を吐き出しそうなほどに緊張している。
注射の何が嫌って、あの工程にまつわる儀式すべてがとにかく苦手である。椅子に座り、腕を出し、あのゴムバンドのようなものを上腕に巻かれ、そして看護師さんに「どうかな〜、ここかな〜」などと血管の様子を探られる。私はどうやら血管が細いほうで採血がやりにくいらしく、片方の腕でいい感じの血管が見つからないとそっちの腕はクビにされ、また反対の腕でここまでの「儀式」を再度行わなければならなかったりする。
そうしてここからが本番だ。「まあ一旦、ここでやってみようかぁ」なんて一抹の不安を抱かせる看護師さんの言葉とともに、なんとか探り出された血管のあたりをアルコール綿でサッサと消毒され、皮膚にはスーッとした清涼感とともにとてつもない緊張が走る。「親指、ちゃんと握り込んでくださいね」なんて言われた手のひらはすでに汗で濡れ始めている。こうやって過度に緊張してしまうから余計に痛みを感じてしまうのだと思うのだけど、怖いものは怖いので仕方がない。ここでヤダヤダ! と暴れ出さないのは私が三十の大人だからだ。大人でも泣き叫んで良いことになっていたら、私は全然泣いている。
そうして、「チクっとしますね〜」という無慈悲な掛け声に、私は自分の腕から目を逸らす。そうして壁などを必死に凝視しているうちに、ぶすっと鋭利な針の先端が皮膚を破り血管へ刺さるわけだ。
刺さってしまったあとは実はあんまり痛くないのだが、「針」という物体が自分の皮膚の内にある事実を思い浮かべると背中に変な汗をかいてしまう。故に、その事実を忘れられるように、私は壁のシミや病院の張り紙の内容を一字一字丁寧に読んだりする。家で身体を丸めて眠っているであろうポメラニアンのふわふわの毛並みを思い浮かべたりもする。そうすることでなんとかこれまでの採血や注射を乗り越えてきた。
しかし、今回の自己血貯血というものは、さらに厳しかった。まず自分の血を抜いたあと、水分補給のための生理食塩水を点滴する。私の場合、そもそもいい感じの血管がなく、やや痛いであろうとされる場所に針を刺されてしまった。それでもなかなか血が抜けず、途中で先生がなにやら赤くて丸い顔のついたスポンジのようなものを取り出して、「この赤血球くんをにぎにぎしてもらえますか〜?」などと言われてしまう。腕の中に針が刺さっていて、しかもじんわり痛くて、もう必死にポメラニアンのことなど考えているのに、さらに赤血球くんをにぎにぎだって!? 喉元まで出かかった「いやです……」を必死に大人のプライドで呑み下し、私はできる限りの力で赤血球くんをにぎ……にぎ……と微かな力で潰し続けた。患者である私に選択権などない。
結局15分くらいかかって血液を抜き終わり、今度は点滴の工程に移った。点滴の針は入れ直されるのかと不安だったが、針自体は採血のものを引き継ぐので、もう一度あの恐ろしい儀式を体験することはなくてよかった。
だがこれもまた血管が細いせいで点滴が入っていかず、困った看護師さんが点滴量を増やすなどしたところ、今度は点滴が漏れてしまい、腕がパンパンにむくみ上がるという事態が発生した。看護師さんは謝罪しながら「ポカリスエットみたいなものなので大丈夫だと思います」と言ってくれたが、ポカリスエットで腕がパンパンになるのもおかしいだろ、とちょっと言いたかった。
そんなこんなでドタバタしながら、人生初の自己血貯血を終えた。次は手術になる。
手術にあたっては麻酔にカテーテルに点滴。一体いくつの痛みを乗り越えなくてはならないのか、考えただけで失神しそうになるが、すっかり大人になってしまった私はヤダヤダ! と手術台の上で泣き叫ぶわけにもいかないので、またふわふわのポメラニアンの毛並みを想像して耐えようと思う。どうかあまり痛くありませんように。