2023年5月某日の日記

ngtr
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 今日も特にやることがない。何かをやる気力があまり起きない。煮立った鍋の中に大量の砂糖をドバドバと溶かしていくように時間を浪費している。いや、まあ、豊かに穏やかな休日をゆっくり過ごしている、とポジティブに書き残しておいた方が、のちのちの記憶の残り方が良いかもしれない。

 いい天気だったので、窓を開けていたのだけど、風が強くて家の中が砂だらけになってしまった。

 ポメのお散歩に出たら、ポメが顔の正面から強風を浴びて東海道新幹線の700系のぞみみたいな先細りのフォームになっていて、かわいかった。ポメはお散歩から帰ったあとはずっと、いつもの大きなクッションの上でごろごろしている。クッションはポメが大層カバーを汚すのでもう長いことカバーをつけていない剥き出しの状態だし、ポメや私や夫がその上でごろごろするからもうぺちゃんこだ。

 ところで私は太宰治が好きだけど、その太宰の書いた文章の中でも印象に残っているものがある。

『君、たのむ、死んではならぬ。自ら称して、盲目的愛情。君が死ねば、君の空席が、いつまでも私の傍に在るだろう。君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する』

 愛するものの「実在」が残ったクッションの窪み。想像するだけで侘しくなる、うつくしい文章だと思う。

 我が家のへたれたクッションにも、ここで生きるいきものたちの様々な「実在」が刻まれている。寝転がるふたりと一匹の体躯を支え続け、平たくなったそのフォーム。ごろごろと気持ちよさそうに寝返りを打つポメの、細くやわらかで、ほとんどとうめいみたいな色をした毛にまみれたその表面。それらも全部、私たちとポメの「実在」の証だと思うと、ボロボロのクッションもいとおしくなる。