フェルンを「不機嫌で周りをコントロールする女」と評するのはちょっとまってほしい。
言っておくが俺はメンヘラ女を擁護したいわけではない。そもそも、フェルンをメンヘラ女と評するのもまたちょっとまってほしい。「不機嫌で周りをコントロールする」というのは、別にメンヘラ女の特徴とは限らないからだ。
これは子供の特徴である。
そう、フェルンは子供なのだ。
フェルンの年齢は一級魔法使い試験に合格した時点で18か19かそのくらいのようだ。日本で言えば成人だし、多分作中世界でも「立派な大人の年齢」だろう。しかしフェルンは子供だ。なぜか。フェルンには子供として振る舞うことができた時間が不足しているからだ。
幼くして両親をなくし、死を迎える育ての親を安心させるために魔法にのめり込み、最年少で三級魔法使い試験に合格した人間。十分大人に甘える時間がなかっただろうことは想像に難くない。
しかしフェルンは大人でもある。旅の知識があり、安全と危険を判断でき、相手の考えていることを理解しようとすることができ、そして実際に相手の気持を理解できる。その上、自分の気持ちもきちんと言語化できる。
ただ肩を押さえた腕の力が強くて、…ちょっとだけ怖いと思ってしまったんです
「大人なフェルン」が、ではなぜ「不機嫌で周りをコントロールする」ように見えるのか。
まず第一に、それはきっと我々の問題だ。「不機嫌で周りをコントロールする」というやり方に対する嫌悪感が目を曇らせている。あるいは「不機嫌で周りをコントロールしようとしたら、反撃された」という苦い思い出が。(俺はそもそもフェルンに対してこのような感想を抱いたことがなかったので、インターネットでこの意見を見たときは普通にびっくりした)
そして第二に、フェルンは「不機嫌で周りをコントロールしようとしている」のではなく、「不機嫌のアピール方法がシンプルに子供」という部分と、「それに対してフリーレンやシュタルクが彼女の機嫌を取りに行くという対応をする」という部分の組み合わせが、「フェルンが周りをコントロールしようとしている」と映ってしまう。
フェルンがやっているのは、実は「子供が家族に甘えているだけ」だ。
冷静に見返してみればわかる。
フェルンにはまだ子供の部分があって、というかフリーレンにも、シュタルクにもそれぞれ子供の部分があって、あのパーティはお互いの「子供」を許し合いながら旅をしている。お互いの大人の部分が、お互いの子供の部分を受け入れ合いながら旅をしている。書いてるだけで涙が出てきた。こんな尊いものがこの世に存在するのか?
フェルンが不機嫌になると、フリーレンもシュタルクもどうにか彼女の機嫌を取ろうとする。でも、それだって嫌々やっているわけではないのは明白だ。「こんなことで機嫌を悪くするなんて!」と二人が怒ったことがあるだろうか。(シュタルクがフェルンの誕生日に何も準備してなかったときはちょっと怒りすぎたが、あれもよくよく読めば「フェルンの子供の部分とシュタルクの子供の部分がめちゃくちゃぶつかってしまった」というエピソードだ。子供同士がトラブルになるのは、それはそうだろう)
「…あの、買い直しましょうか…?」
「これはシュタルク様が一生懸命選んで私にくれたものです。二度とそんなこと言わないで」
「自分を大切にしようとしてくれる人がいる」ことがフェルンにとって重要なことで、自分の機嫌を取ってくれるかどうかはあまり重要ではない。
フェルンには子供の部分があって、不機嫌を周りにアピールしないとやっていられない。それこそがフェルンという人間の形だし、癒やされない傷だ。幼くして両親をなくし、死を迎える育ての親を安心させるために魔法にのめり込み、最年少で三級魔法使い試験に合格した人間の心の形。フェルンという少女が自分自身の「子供」と折り合いをつけられる日がきて、撫でるとくすぐったく雨の日に少しだけ痛む古傷になるまで、フリーレンとシュタルクはフェルンを許し続けるだろう。
そういう関係のことを俺は「家族」と呼ぶが、フリーレンはそれを「パーティ」と呼ぶ。あるいは勇者ヒンメルがそう呼んだのかもしれない。
理想の大人を目指して大人の振りをして それを積み重ねてきただけです。
きっと私は死ぬまで大人の振りを続けるでしょう。
まあフェルンがシュタルクに対して甘え過ぎじゃない? ってのはわかるけどね……。シュタルクはなあなあで受け入れているけど、あいつ絶対深く考えてないから、ジャンルがラブコメだったらそのうち別の女が現れてめちゃくちゃになるよ。