今日のデジタル時代において、情報を共有し、意見を公表することは日常的な行為となりました。
しかし、この「発信する」という行為には、見過ごされがちなリスクが伴います。
まず、発信する最大のリスクは、誤解を招く可能性があることです。
自分の意見や情報が、意図した通りに伝わらないことで、誤解や争いの火種となることがあります。
特に、感情的なトピックや、技術分野においての複雑な議題においては、短い投稿や限られた情報だけでは、完全な状況や意図を伝えきれないことが多いです。
発信した内容はインターネット上で永続的に残る可能性があります。
一度公にした発言は、削除してもスクリーンショットやアーカイブされたページとして残り続けることがあります。
これはプライバシーの侵害や将来的な職業的なリスクにもつながりかねません
また、意見を発信することで、同意しない者からの攻撃やハラスメントを受けるリスクもあります。
特に、公の場で影響力のある発言をすると、その意見に反対する人々からの否定的な反応や、場合によっては個人的な攻撃につながることがあります。
そもそも、別に影響力のある人物・有名人じゃなかったとしても、見ている人がいる以上、必ずすべてのリスクが付きまといます。
もちろん、発信にはメリットもあります。
特に技術分野の勉強などをしているときに、コメントなどで他者からフィードバックを受けたりできますし、自分がどのような活動をしてきたかを示せる機会を作っておくのはエンジニアとして生きていく上では、単なる備忘録だけに留まらず、それ自体が徳となる場合があります。
結論、適切な言葉を選ぶ力をつけたい、と強く思うようになりました。
これは戒めでもあります。
自分自身は絶対にそんなヘマはしないと思っていても、ある日突然、その時は訪れるものだと、身をもって知った経験があります。
人からの信頼は、得るまでに本当に多くの時間がかかるのに、失うときは1秒で失えます。それも本当に些細なコトで。
そんなリスクを冒すくらいなら、そもそも発信なんてしなければいいじゃないか、という意見をかつて複数の友人にいただきました。
実際、私も嫌な経験をしてからは発信するような活動を数年、きっぱりと辞めました。
ただ、発信をやめてからは、発信していた頃に比べれば、明らかにあらゆる分野の成長速度、モチベーションが低下したというのを実感したので、こうしてまた言葉を綴っています。
発信の仕方や言葉を間違えるっていうことは全てを失うことに繋がることもあるということ。
それはよく考えた上で、正しく慎重に今の自分が残せるものをこの広いインターネットの海に、残していきたいです。