ルーティンをつくる②占いとの距離感

ムニャッ記
·

呪いみたいに、どうしてもどうしても特定の人と比べてばかりの時期があった。その頃はけっこう不健康的に占いを見てもらったりしてたこともあって、多少お金を使ったり、意味もないのに無料サイトをぐるぐる回ってみたりしていた。自分でも「この感じは全然良くない、本当に良くない」とわかっていながら、それでも誰かに胸の内を全て打ち明けた上で「大丈夫だよ」と言ってほしくてたまらなかったのだと思う。そういうことも全部わかっていたのに、自分だけではどうしようもないほど、実は心がだいぶ弱っていた。

そのうち(というかここ半年くらい)、自分の中である出来事があって、基本的に占いとか願掛けとかをほぼほぼ信じなくなった。神社でおみくじを引くとか、そういうことも興味が薄れていった。距離ができた感じだけど、むしろ今までは嫌に距離が近すぎた感じがあるので良い傾向だと思う。

ただ、結局のところ統計学が関わってくる、占いという分野の学問は面白そうだと思っているし、近頃わたしは「しいたけ占い」がけっこう好きで、先月からnoteの月間占いに課金したりしている。月初の今日とか、ちょっと一息ついてるときに、なんとなしにしいたけ占いを読む。最近のしいたけ占い、すごくフィットする感じがあるんだよな。お、なんかあたってるな。という感じで。よくある占いの「あなたはこうですよ!こうすべきです!これがあなたの運命!」という強い感じでもなく、ふわっと届く不思議な手紙みたいな感じで、茶を飲みながら「へ〜」と読める感じも性にあってる。

向けられる言葉って、友達でも親でも本でもそうだけど、ある程度の余白を含んでいないと受け取りづらいときがある。口調…もそうだけど、単語とか文脈とかに色々な空気を含められるイメージ。「運命!」的な占いのときは受け取り側も「ばっちこい!!!」みたいな体勢だと受け取れる(受け取ってしまえる)んだけど、そうじゃないときはその強い言葉だけが妙に印象に残るだけで、なんか疲れてしまう。まあ強い言葉に強い体勢、受け止められた!と思ってる時は、ちょっと盲目的になってることもあるよなと思いつつ。会話もそうだよな。

だから「へー」と言いながら、書かれてることを読んで、自分の少しだけ先のことを楽しくああしようかな、こうしてもいいかも、と想像している感じは、占いとしてものすごく良い距離感で良いシステムになってると思った。

サブスク的に、サービスに課金するときってちょっとドキドキするけど、少し様子見つつやってみようかなーという感じ。またちょっと嫌な感じにぐらぐらしてきたら一旦やめればいい。それだけのことだよなあ。何事も。

@nichi
むにゃむにゃ 《副[と]》 不明瞭(ふめいりょう)にものを言う様子。  「―(と)寝言を言う」