これからのことなどあまり考えなくてもよい

ムニャッ記
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今日は久しぶりに一日中良い天気だった。友人たちが佐賀に遊びに来てくれる日がいつもこんな日だったらいいのに、と思いながら青い海を眺めていた。用事をすませた合間、虹の松原が見たくなって車を走らせ、ついでにからつバーガーを食べに行った。気の向くままに好きなところにふらりと行って、食べたいものをのんびり食べて、また行き先を適当に決めて出発する…という、かつての車中泊旅を思い出し、幸せな気持ちになった。引っ越しが落ち着いたら、今度こそ軽バンを車中泊仕様にしたいなとか思う。でも近ごろは「これからこんなふうに生きていきたいな」と思ったとき、「いや、もし子どもができたらしばらくできないだろうな…」などと勝手に不安に思ったりする。そんな予定は全然ないんだけど、可能性はあるんだからふとしたときに考えてしまう。こういうとき、「なんで女性が出産するんだろうなァ」とか「人間は適齢で男女になっていって、希望するほうが産めるようになればいいのになァ」などとマジでどうしようもないことを考えたりする。どうしようもないけど、どうしようもないからこその、言葉にしがたい妙な辛さがある。

もしもなにかが起こるのならば(肉体年齢的に)この数年以内なんだろう…と思うと、やっぱりどうしても身構える。でもまあ、素直にこの肉体を楽しんでいければ良いんだろうなとも思う。この件に関しては考え出すととまらない。というか、この問題にここ1年ほど真面目に向き合い続けた結果、けっこう1人で苦しみ、結論「あまり考えないようにする」がわたしにとっての最善策だと思い知った。これからのことなど、あまり考えなくてもよい。もともと「ゆらり気ままに車中泊旅」を愛していて、それをやっているような人生だ。なにより、どんなに考えたところで結局先のことはわからない。近ごろ禅の本を読んでいるがそこに繰り返し出てくるように、向き合うべきは「今、ここ」。…と思える自分を、なんかええやんととりあえず見守ることにしてる。そして今やるべきことは、引っ越し。荷造り。ゴミ捨て。家の掃除。溜まった竹ゴミの処理。仕事。メール返信。読書。ミーティング。日光浴しながらコツコツやっていく。今の蓄積でこれからになるのだから、今をコツコツと、風通しのよい感じに生きてれば、悪い方にはいかんだろう。たぶん。

@nichi
むにゃむにゃ 《副[と]》 不明瞭(ふめいりょう)にものを言う様子。  「―(と)寝言を言う」