きみとなら遠くまで

ムニャッ記
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今日の夜は、大学時代からの友人でデザイナーTとの打ち合わせをした。これは仕事とかでもなんでもなく、5月末に出るコミティアに向けたもの。ひょんなことから大学時代の友人たち3人でザラシ(わたしの昔からの謎キャラクター)の本をつくることになり、レイアウトとか表紙のこととか諸々のすり合わせをしている。実はコミティアも個人としては(何気に)初出展だし、わたしは絵しか描いてこなかったから本づくりになるとつい腰が重くなるんだけど、今回はアニメーターのTとデザイナーのT(どっちもTだ…)と本とアニメを作ることになり、それがふたりの力のおかげでどんどん進んでいる。一人じゃ到底作れないものが形を現そうとしていて、とにかく楽しい。特にデザイナーTにはものづくりということに関して大学時代から信頼を置いていて、それは単にセンスがよいというだけでなくって、Tのものづくりへの面白がり方がとても好きなんだよな。「こういうのってこういう良さがあるじゃない。こういう形だったらどうだろう」「それが難しいなら、こうやってみるのはどう?やりたいことには離れてないし楽しそうだよ」という引き出しがどんどんどんどん出てくる。自分一人で作るより何十倍も楽しい。と同時に、自分の「なにか」を活かしてくれるデザイナーがいるってものすごく心強いんだなと気づく。その力を実感するからこそ、自分はデザイナーの器じゃないなあ…ということも改めて思い知る。とにかく、久しぶりにものづくりへのアンテナがビビビと動いた、今日は素敵で楽しい夜だった。引っ越しやら協力隊の仕事やらイラストの仕事やら、いろんなことに忙しくなってきたけど、それでもコミティア出ることにしてよかった。わたしは卑屈で、すぐ自分の内に閉じこもる性質がある。自分ではどうしようもできない部分が大きいから、「なんか好きだなあ」と思う人のそばにいたくなるし、実際にいようとする。

他力本願で「どうかわたしを遠くに連れて行ってくれ」って思ってるんだよな。せめて誰かが「仕方ない、連れてってやるか」と思ってくれるような人間になりたくて、そんな人間を演じようとしてきた自覚もある。でもこれって、少し言い換えると「連れていきたいと思われる人間になりたい」ってことだよね。選ばれようとしている。選ばれようとしてるときって、たいがい不健康になりがちだよなあ。ううむ。いまだに自分の足が頼りない。

@nichi
むにゃむにゃ 《副[と]》 不明瞭(ふめいりょう)にものを言う様子。  「―(と)寝言を言う」