
こちらは 2025年の"推し"本 Advent Calendar・14日目の記事です
本当は小説について書こうと思っていた。本当である。しかし、今年読んでいない事に気付いた。絶望である。なので、漫画の話をしようと思う。
いきなり作品の話になると思ったであろうがそうはいかない。
ここから始まるのは自分語りである。
私は元々小説家を目指していた。目指していたと言っても受験であっさり諦めたのだけれど。でも目指していた。
きっかけは単純で中学生からネットに触れていた私は気が狂った様にホームページを量産した。そうするとコンテンツが必要となる。当時は日記と呼ばれていたが、それが一番手軽であると考え、各ホムペに別々の内容の文章をしたためるという今から考えるとやはり頭のおかしいことに熱意を注いでいた。勉強?してないよ。
高校になるころには、日記はブログとかおしゃれな名前になってて、専門のサービスが雨後の筍のように出てきて当然何個も登録して別々の記事を書いていた。
内容は本当にどうでも良いことから、啓蒙的な内容。そして、短編の小説である。
小説を書くということは当然小説を読んでおり、当時は「講談社ノベルス」にハマっていた。森博嗣、清涼院流水、佐藤友哉、舞城王太郎、西尾維新、矢野龍王とか。というか毎日ブックオフに入り浸って何を買おう等と何時間も過ごしていた。それが楽しかった。
上記から分かるようにミステリーに完全にハマっていた。ただ、私はミステリーの才能は確実に無くそういうのは向いていなく、いわゆる純文や大衆を書くことにしていた。幸いにというか、その頃は周りから私の文章を褒めてもらうことが多く、自信を増長させていった青い芽は太陽を浴び夢を見てしまった。
小説家になれるかな?
そこからなり方を考え、日芸の文芸創作に的を絞った。
さて夢が現実になる人は多いだろうか、そうではないから夢なのである。ご多分に漏れず、私は日芸に落ちた。2年連続。
今から考えれば、芥川賞作家でも落ちるので全てを諦める必要などどこにも無いのだけれど、絶望の淵で考えることはこの絶望を断ち切ることである。
私はすっぱり書くことをやめた。大学も法学部に進んだ。本も読まなくなった。完全に断ち切った。自分には向いていないんだという言い訳を添えて。逃げた。バンプのK並に意地でも全速力で距離を置いた。(バンプのKはいい曲です逃げる話ではないです。
さて、「あくたの死に際」話を戻そう。漸くだよ。良かったね。
主人公は、昔大学で文芸のサークルに入って小説を書いていた。そこで才能の塊の後輩(後に小説家になる)に出会い、小説家になることをやめ、普通に就職して順調な人生を歩んでいるところから話ははじまる。
そしてある日通勤している時にその後輩の新作の広告に目が行った。
結果その日から、会社に出社できなくなってしまった。
真面目で常識的を良しとする主人公は、社会に対する仮面が限界に達してしまったのだ。本心じゃないことを続ける孤独の闇は計り知れない。
本当は小説が書きたいという思いを社会的俯瞰で黙殺していたのである。
自分という個を維持しながら、外装を常識で固めることはデバフに近い。社会はそれを求めるし、それが出来ない人間は人間ではないという風潮が当たり前のように酸素のように満ち満ちているこの世界で自己を表現するという行為は、人を辞めるに近い恐怖がつきまとう。だからこそ自己秘匿できる手段を用いて表現をする人達が増えてきているのはそれの証明でもある。
そうだとしても、主人公は偶然再会した後輩の助けを借りつつ自己をそのまま表現していく。
その姿こそ我々は当然とすべきであるし、世界が白いキャンバスになれば良いと思う。
話が長くなった。つまりこの息苦しい社会を照らす光こそが「あくたの死に際」なのだ。主人公が自己を解放して、小説化を目指していく姿を是非皆さんも体験してほしい。