最近、AIエージェントの話題が「効率化」というビジネス観点ばかりが取り沙汰されている気がしている。また個人が力を持つみたいな話も多い認識だが、個人の幸福に繋がる話は余り見かけないことに違和感がある。
理想の AI時代が到来すれば無条件に全員が幸福になると思われているからか、ただ個人的には余りそう思わないので所感を書き散らしてみる。
ちなみに AI周りは日進月歩なのでタイトルに日付を付けることにした。後々また考え方が更新されたら新たな記事で綴るようにしたいと思う。
AIが瞬時に答えを出し、依頼を完遂してくれる世界。それは一見すると理想郷のようにも映る。ただ、人間が根源的に持つ「意義ある成果を自ら得た」という欲求はそれで果たして満たされるのか。
Suno を触っていても感じるが、クリエイティブにおいても「AIガチャ」のような受動的な体験は、大半の人はおそらくすぐに飽きてしまうのではないかと感じている。ソシャゲの飽きと同じかもしれない。
そこには、試行錯誤の末に何かを成し遂げた時の満たされた感覚、いわゆる自己効力感がすっぽりと抜け落ちているからだと感じる。
プロセスを無視して結果だけを享受する状況は、自らの能力に対する信頼や、行動することの意義そのものを見失わせる危険性を孕んでいそうだ。
では AIとどう向き合えば、より個人の幸福に近づけるのか。
最近考えているのが、AIを探究するための「パートナー」として捉えるアプローチ。探究対象は自分自身でも既に対象が存在してればそれで良くて、人生で没頭する時間の総量を増やすのに使うイメージである。
探究対象が無い人は自分自身への理解が足りてない可能性が高いので、AIで過去から自分の価値観を炙り出すと言ったことをすれば良い。他には AIからコーチングや認知療法など受けてみても良いかもしれない。
自分自身の価値観は何なのか。何に喜びを感じるのか。AIに問いを投げかけ、返ってきた答えを吟味し興味関心を深めていく。引いては行動に繋げるループを回していくことで、思いがけない自分の成長に繋げていく。
以前好きなアーティストや音楽の時代背景を深掘ることをよくやっていた。そこから新たな気づきを得て感動を得た体験が多々あった。教養が深まることにも繋がったし、そういった成長の実感は素直に喜びに繋がる。
成長というと高尚に聞こえるが、フロムゲーを頑張って攻略したみたいなものも含めて言っている。単に以前より上手くなった実感みたいな。
また自分自身の探究も深まれば自ずと幸福に繋がる行動や取捨選択も可能になりそうなので、後は惰性で一般的に幸福とされる人生が送れそうな気がする。自分の創作する物語を 100%味わい尽くして楽しむ感覚である。
とここまで話してきて物語思考感が出てきたので紹介しておく...w
よく一般的に言われる AIで働かなくて良い時代が来たら義務感から解放され、純粋な「楽しい」という動機で行動できる。という世界が来たとしても、その「楽しい」が見出せない人には辛い時代が来そうである。
ただ「楽しい」だけでなく、それらが社会からも一定評価されないと持続可能ではなく「楽しい」を享受し続けられない気もするので、ここまで語ってきて何だが、諸々単純な話ではない気はしている...w