ドクターマーチンと祖父母の死、老いていく親について

niki
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在宅勤務は気に入っている。

でも孤独で人と喋りたくなるし、客先への訪問や出張も恋しくなる。単調な仕事の時は脳の容量が余りすぎて、余計な思考に囚われてしまう。

最近よく、年取った親の手助けをどうするかを考えてしまう。現在私は33歳、今、私の両親は健康でバリバリ現役の60代だけど、あと15〜20年も経てば確実に何かしらの介助が必要になるだろう。幸い私には兄弟が二人おり、比較的両親の近くに住んでいるため、「その時期」が来たら協力していけると思っている。いくらでも親の介護の方法はあることはわかっているのだが。

30代を迎え、老いというものの輪郭が少し濃くなった。自分の老いも感じるがまだ可愛いもので、シミが出てきたとか油物があんまり食べれないとかお腹周りが弛んできたとかそんな程度。しかし、久々に実家に帰り、両親がおじいちゃんとおばあちゃんに近づいているのを見るとショックを受ける。自分が持っている彼らのイメージがどんどん変化していることに怖くなる。いつまで元気で一緒にいられるだろうと、これまで抱いたことがなかった感情が湧き出てしまう。

小学生の頃は、じいちゃんとばあちゃんが死んでしまうことがとても怖かった。両親が共働きだったので、放課後は母方の祖父母宅で過ごした。学童から帰ると、毎日祖母が作るご飯を食べ、祖父と一緒に遊んだ。毎日、宿題の国語の朗読を聞いてくれたのは祖母だったし、学童や習い事の送り迎えをしてくれたのは祖父だった。母は一人娘だったので、孫は私たち兄弟だけ。とても大事に育ててもらった。

祖父母は私たちにとって絶対的な安全地帯であったとともに、漠然とした「老い」の象徴でもあった。私は小学校2年生くらいになると、「じいちゃんもばあちゃんもいつか死ぬ」ということに気づいてしまい、それはそれは怖かった。時々、のんびり昼寝をしている二人の寝息を確認したりした。今は元気な二人がいつか死んでしまうと思うと、心臓がヒヤッとなった。

両親が少しずつ着実に老いていく様子を見て、あの時と同じ言いようのない恐怖と、胸の痛みを感じる。その時が来るのはおそらくまだ10年以上も先なのに、今のうちから怖くなってしまうのは、歳のせいなのか、日本を遠く離れて暮らしているからなのか、余計なことを考えてしまうほど時間を持て余しているからなのか。

まあ、ただ単に暇なんでしょう。

じいちゃんとばあちゃんは、私が20代前半の時に亡くなった。子供の頃はあれだけ二人がいなくなることを恐れていたのに、22、3歳の私は、割とすんなり二人の死を受け入れた。小さく弱って病院のベッドに横たわる姿を見ることや、最後のお別れは辛かったけど、「ああ、ついにか」という思いが強かった。

病院で祖母を看取った日、私はドクターマーチンの10ホールを履いていた。2月中旬、極寒真っ只中の積雪地帯。それでも滑り止めのついたダサいブーツや長靴なんか絶対に履きたくなかった私は、東京からマーチンを履いて帰省した。家に戻って通夜や葬儀の支度をするため病院の駐車場を歩いていると、祖母の遺体を引き取りに来た葬儀屋の方々を見かけた。ずいぶん迅速に対応してくれるんだなとありがたい気持ちになった。ごつい10ホールで、食べ残しのかき氷のようにぐしゃぐしゃした雪を踏みながら車まで戻った記憶がやけに鮮明に残っている。

当時は東京が私の居場所と思っていたし、若く大胆な恋もしていた。本能的な若さのエネルギーが都会のパワーと共鳴し、私を覆っていた。祖母の容体が悪いから覚悟して帰ってきなさい、と母から連絡をもらったとき、私の意識はふわふわしており、その時見た故郷の景色はセピア色というか、北国の冬特有のねずみ色で、もう自分はここに所属していないんだなと感じた。ばあちゃんが亡くなり、後を追うように1年後じいちゃんが亡くなったことによって、私の「幼年期」が本当に終わった。

そこからさらに10年が経った。社会に出てそこそこに揉まれ、なんの縁なのかオーストラリアに住むようになり、少し歳も取ると、故郷の景色がまた鮮やかに見えるようになった。東京も大好きなのに変わりはないが、地元に帰ると無条件に安心する。家族の顔を見ると、なんかちょっと恥ずかしい気持ちになるものの、やはり安心する。

家族との向き合い方にもフェーズがあるようだ。よわよわながらも社会に出て、私自身の世帯を持つようになり、両親の「保護者」としての役目はほぼ終わった(といっても実家に帰れば子供の頃のように色々してもらってばかりだけど)。今は子供と親であると同時に、成人対成人として向き合うようにもなった。両親がもっと年を取っていけば、次のフェーズに移るのだろう。

次に移るまでに、私にも家族にもきっと多くの変化が訪れる。その流れに乗っているうちに、きっと両親との今生の別れも自然に受け止められるようになっているだろう。祖父母を見送った時のように。多分だけど、そうだといいな。

この文章を書いているうちに、漠然とした不安が少し落ち着いた。駄文散文でも書き出すことは吐き出すことで、一つのセラピーのようなものだと実感。

@niki_s
オーストラリアの田舎でその日暮らし | 在宅事務 | 1990年生