もう10年以上いろんなブログサービスを転々として、2024年1月3日に「しずかなインターネット」を見つけた。
また新しいところに書き散らすのは飽き性の極みだなと思いつつ、シンプルなインターフェイスに惹かれて始めてみようと思った。noteもはてなブログもたくさんの記事が読めるのはいいけど、チカチカする画面にちょっと疲れてしまう時があったし、有益なことを書かなければ!と気張りすぎてなかなか書き始められないところもあった。
2010年に大学生になった私は自分専用のラップトップをゲットし、より自由にインターネットに接続できるようになった。その時「ブロガー」という存在を知り、私もブロガーになりたいと思った。ファッションショーに招待されるファッションブロガーたちはとてもアツい存在で、パーソナルな写真と文章で社会的な地位を獲得した彼らは私の憧れだった。
体感として、2010年代前半のYouTubeはまだ音楽プレイヤーの延長でしかなく、インスタが流行り出したのは2013年頃。YouTuberやインスタグラマーの前に脚光を浴びたのがブロガーだった。私はTavi Gevinsonが更新していたファッションブログ「STYLE ROOKIE」が大好きで、当時まだ12才くらいだったTaviちゃんの創意工夫溢れるコーディネート写真や、ティーンの女の子らしいコラージュと日記を見るのが楽しみだった。
振り返ると、あの頃はDIY精神を発揮したユースカルチャーが流行っていた気がする。洋画で見るティーンネイジャーの部屋のように、好きな俳優や歌手、雑誌の切り抜きがぎゅっとピンナップされた壁や、友達との写真とキッチュな電飾に覆われたベッド周り。どのアイテムも思い入れが強く、「私の大好き!」を寄せ集めてデコレーションした空間。Tumblrが流行っていたのも同時期で、自分の好きなイメージを探してダッシュボードに集めていく作業は、その人自身を表すイメージボードを他人と共有することでもあった(自身が作った作品をポートフォリオとしてTumblrに投稿することももちろんあったけど、クレジットが大きく表示されないため、作者よりもイメージ単体の存在感の方が圧倒的に強かった)。インスタグラマーやTikTokerが自分の外見をさらけ出すことが多いのに比べて、もっと個人の内的世界を表現する機会が多かったのが、2010年代前半なのかなと思う。ブログで文章を書き、Tumblrで他人が作ったイメージや心に刺さった引用文を借用しながら、自分を表すコラージュを作っていく。なるほど、それってティーンが好きな歌詞を日記帳に書き溜めたり、プリクラや可愛いステッカーをぎちぎちに貼ったシール帳を作ったり、雑誌のお気に入りのページをスクラップすることと一緒なのかもしれない。
2010年代中盤になると次第に、インスタやYouTubeは「映え」や「面白さ」重視、作品としての質が高いものが評価されるようになり、ここ数年は「**で買うべき商品3選」とか「**のおすすめスポット」など、有益性が高い投稿も目立つようになった。もちろんプロアマ問わずクリエイターが評価され、マネタイズできる仕組みはとてもいいことだと思うし、私もこうした投稿に毎日助けられている。しかし一方で、コンテンツとして面白い人の語りだけが注目されがちになり、コンプライアンス強化で全方位に配慮すべき風潮から、そもそも本心をさらけ出すことのリスクが高くなってしまった。2024年の今、自分語りをするのは賢い表現手段じゃないのかもしれない。
でも、私たちはみんな自分のことをしゃべりたい。だからnoteにもはてなブログにもいまだにたくさんユーザーがいるし、Xは常に賑わっているし、インスタのストーリーに長文を載せたくなる。ちょくちょく匿名はてなダイアリーの良記事(いい意味でも悪い意味でも)がXでバズっているのを見ると、やはりみんな自分の話をしたいと同時に、誰かのぶっちゃけ話に興味があり、心動かされるのだなと思う。私もそう。
20代の頃はブログを書きながら、何者でもない私の自分語りなんてくだらないなと思っているところもあった。しかし30歳を迎えて数年経った今、どこかに住んでるよく知らない誰かの日記帳も尊いものだと思うようになった。インフルエンサーが増えても、私たちの大半はOne of themである。私により近い存在は、有名人じゃなくて、どこかの知らない誰かなのだ。
「しずかなインターネット」を発見して、なんとなく、SNS・ブログのトレンドが一周したのでは、と思った。もちろんテクノロジーの進化は止まらないけど、みんなおぼろげに「結局このくらいがちょうどいいのかも」というポイントが見えてきたのかもしれない。バズる投稿に固執せず、ただ自分の思ったこと、話したいことを書きたい。そしてどこかの誰かが綴った日記とその人の好きなものをじっくり読みたい。スクロールで流れてしまうものでなく、その人の内的世界を表現したダッシュボードを眺めたい。
ここがそんな場所になるといいなと思う。