どれだけ長い時間寝ても、寝入りが遅ければ次の日はなんとな〜くだるいような気がする。
『虎に翼』で、光三郎の「おばあちゃんの面倒を見るよ」という言葉を聞いて、祖母の常さんが微笑んだ時、心がヒヤッとした。
権力を持っている人間(そう見える人も含む)が、望みを叶えられたときに笑顔になる。私はそれを求める節があった。相手が笑顔でいるなら安全だと思った。そうやって意見を飲み込んできた。
だけど自分の身も心も削って望まないことを叶えさせることは私の心を蝕む。それを続けた結果、私は人生で1、2を争うくらいの精神的危機を迎えたから、本当に本当に本当にのっぴきならないことがない限りもう絶対にやめようと思う。
私にとって“笑顔”は『自分の身の安全の保証』を意味するところがあった。必ずしもそうではないと分かったのは最近。やっと霧が晴れたような、殻を破ったような、本当のことを知ったような、捨てきれない理想を捨てられたような、そんな気がする。
着々と社会生活を送る準備が整ってきているように感じる。もっと休んでいたいとか、準備が整ってない感じがするとか、そういう気持ちは無くなってきた。今なら言いたいことも言えるかも、くらいのことまで思えてる。多分近いうちに仕事に復帰すると思う。
長かった。だけど私には必要な長さだった。きちんと休んで元気になれた。今ならこの休みの長さも妥当だったと胸を張って言える。休みすぎているなどと思わずにいられる。きっと今の私なら、他の人にも長く休むことを勧められる。
ここまで来られて本当に良かった。
全部怖かった。この先ずっと、全てに怯えて生きていくんだと思った。
起きぬけのぼんやりしている時だけは、自分が何に囚われているのかが分からなくて、何の心配もなかった。でもすぐに思い出して、また怖くなった。
何かを楽しんだり、望んだり、落ち込む権利が無いと思ってた。治らないからと、この気持ちと共に生きて行くために腹も括ってた。私なりに覚悟を決めてた。
治ったのかは分からない。けど最悪の状況から抜け出せた。今はベストなコンディションだと思う。毎日楽しい。歌を歌える。食事が美味しい。優しさに気づける。人を想える。文句も言える。罪悪感は無い。真っ当なことを、一点の曇りもなく、心から思える。喜怒哀楽も全部できる。
本当に良かった。本当に本当に本当に良かった。