2024年2月3日(土)
■70本目の記事。ずいぶん書いた。しずかなインターネットからふりかえりレポートが届いた。
いっぱい書いたなあ。すごいな。
■好きなVtuberさんの動画で「やっぱ『やってみる』って大事だよね」って話を聞いた時、ここで書いていることを思い出して「そうだなあ」と思った。
続けるためのコツも少し分かった。向上以外を許すとか、書く時間や文字数を決めないとか。
今の私のやり方は、ここで書き始めた頃に私が抱いていた理想からはかけ離れている。でも、それはぼやっとしたひとつの型であって、私に合うやり方ではなかったってことも分かった。やってみるって大事なんだなぁ。
北海道に行った時にたくさん話して、自分で想定できる仕事の仕方は何百とあるもののうちのひとつなんだなと思えたことを思い出した。きっと、すべてがそうなんだと思う。
■昨日コストコで買って美味しかったものはツリーシェイプワッフル。素朴で美味しい。サイズがかわいい。たくさん食べてしまう。
■インスタで幼馴染の投稿を見た。地元を出た幼馴染が投稿する写真に、私が知っている人は1人も写っていない。それが、幼馴染と私はただ単に、一瞬人生が交わっただけなんだなと感じさせた。たまたま家が近くて同い年だっただけ。
高校以降 学校が離れても連絡は取っていた。家の近くの自販機のそばで何時間も喋った。「タバコ吸い始めた」「なんで?」「タバコの煙、かっこよくね?」「ばかだなー」って言って笑う、みたいな、なんでもない会話をいくつか覚えている。
カラオケでオールしてビリヤードを教えてもらって最後は明け方の海に行くっていう、ベタだけど淡く光る思い出もいくつか作った。『10代の頃ってこういう、今で言う“エモい”ことに憧れるよね』という持論を私が持っているのは、この時の私がそうだったから。そしてこれらは今、“素敵なもの”として心に残っている。
この持論が一般論かどうかは分からない。だけど幼馴染も同じ時に同じようなものに憧れていたと思う。でも2人ともひとりで実行する勇気がないくらいには子供だったから、一緒にやってみたんじゃないかな。
気が合うかと言われると微妙だし、性格が似ているわけでもない。相手が言うことを理解できないことも多くあった。だけど、だからこそ生まれるぬるい受容みたいなものがそこにはあって、それが心地良かった。
そんな感じで続いていた関係だったから、お互いがどんな性格でも続くものだと思っていた。
21歳の時、成人の日に「飲みに行こう」と言われて行ったお店で新成人たちが同窓会をしていて、幼馴染は2時間のうちほとんどの時間を新成人たちの席で過ごした。幼馴染はおそらく同窓会のことを知っていて、でも1人では乗り込めず(そもそも乗り込むなよって話なんだけど)、偶然を装うために私を誘ったんだと思う。私はその間ずっとひとりだった。帰りがけに「なんかごめんね」と笑って言われて馬鹿らしくなった。今思い出しても腹が立つ。その後もこんな風に軽んじられることが何度かあったから、「大人になったらまた話そう」と思いながらLINEをブロックした。
こんなことがあったから遅かれ早かれ連絡は絶っていたと思うけど、今になってみれば友達とも少し違う“幼馴染”という関係の人がいたら何かが違っていたのかな?と思う。
その幼馴染が、時を経て私のインスタのアカウントにフォロー申請をしたのが去年。私は「2人とも大人になっているかな」と期待を込めて申請を許可した。久しぶり、から始まる簡単なやり取りと相手のストーリーへのリアクションを1回したくらいで1年が経った。
生活の拠点を地元に近いところに移すらしいので、もしかしたらまた人生が交わるかもしれない。この感じだと一瞬だけ、もしくは交わらないかもしれないけど。
■しずかなインターネット(もはやブログ)ではこういう話ができるからいいね。これ、Xで話そうとは思わないからな。そう思うと、こういう長文の自分語りみたいな話をするのにも抵抗がなくなったなぁ。
■成人の日のとき、幼馴染から私がいるって聞いてわざわざ声を掛けに来てくれた1人の後輩には今でも感謝している。
■成人の日の事の顛末を聞いた父は怒っていた。
■今日の写真。
ずっと撮りたかったみかん?の木。みかんにしては大きいか。
西日が好きなんだ。
こんなところにドラキュラ伯爵。モンスターホテル面白いよね。