■昨日の日記が100本目で、ある種の節目だったから今一度自分のプロフィール文を読み返してみた。
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。
思っていることは今も同じなんだけど、当時とは熱量の種類と大きさが違う。
アカウントを作った当時は書いて公開することに対して身構えてた。何を書けば良いのか分からなかったから書くことのハードルが高かったし、ましてや公開するなんて、と思ってた。だけどやってみたかったから、そのふたつをえいやと飛び越えるために必要な心構えをそのままプロフィール文にした。
今は少し違う。書く内容は自由で良いと知って、しずかなインターネットの仕様のおかげで公開することへのハードルも下がった。3ヶ月ちょっとやってみたら緩やかな闘病日記みたいになったところもあるけど、それはそれで読み返せるのは良い。過去の自分は他人だと思ってるからなるべく素直な気持ちを書くようにしてる。
■プロフィール文の文章は自分の気持ちを書く時に砦みたいな役割を果たしてる。不必要な謙遜や卑下をしてしまいそうになる度に思い出して、打ち込んだ文字を消す。誰のためかも分からない謙遜や卑下はもうしないと、ひっそり心に決めているからね。
■明日は久しぶりにジムに行こう。ジム行ってるんだ、って話を人にするとなんだか行きたくなるんだよね。