祖母の知恵 / 過去の日記 / 臨書と万年筆 / 復帰の意思を伯父に伝えた / お彼岸の中日

てんすい
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■祖母曰く、「こぶしの花が咲いたら里芋の種を蒔く」らしい。こういうの好き。「日の入りは冬至から畳の目1つ分ずつ長くなる」的な。

■1月末あたりの日記を読んでたらつらくなっちゃった。今と全然気持ちは違うし普段は思い出すことも無いけど、読めばありありと思い出せる。苦しそう。苦しかったなぁ。

■万年筆で字を書くことにすっごいハマって、ほんとにめっちゃ書いてる。目についたもの全部書いてる。新しいインクも買えたし、それ使って書くのが楽しみ。

■万年筆の筆圧の無さとインクの出方が筆っぽくて、習字を習っていた時のことを思い出すからこんなにハマってるのかも。

週に1回書道教室で書く時間は私にとって“整う”時間で、リセットって感じ。多分マインドフルネスに近かったと思う。大学に入って辞めてからはその時間がなくなって、気持ちが落ち着く時間がなくなった気がしたのを覚えてる。

年齢と段位が上がると楷書・行書・草書・臨書を書くようになった。それぞれの書体の線に異なるイメージを持っていたんだけど、万年筆で書ける線が臨書の線のイメージにすごく近い。

もうそっくり。楷書より角が取れた、ちょっと丸っこくて柔らかくてぷくっとした線。かすれはほぼ無し。墨は滲まない程度につける。ちょうどこの、しずかなインターネット上のフォントに似てる。

4つの書体の中で一番褒められることが多かったのは臨書だった。私は臨書が得意だったんだと思う。先生はいつも厳しかったから、「この人に褒められるってことは、私結構すごいんじゃない?」と思っていて、臨書に対してだけはどんな課題でも書けるような気がしてた。どんな字でも書けるっていう、ある種の万能感。無敵になった気持ちだった。

大学進学を機に書道教室を辞めたら文字を書くことがめっきり減った。絵を描いたりするようになってペンの持ち方も崩れた。そしたら思った通りに線が引けなくなった。そして、綺麗な字を書けなくなった。それを直視したくなくて、丁寧に書くことを避け、走り書きばかりするようになった。

書道教室のおかげで小さい頃から字が綺麗だと言ってもらえてたから、綺麗な字を書けることはある種、私のアイデンティティであり、私を支えるものだった。それが崩れて、今までできてたことができなくなった。いくら書いても書けない。きっともうできなくなっちゃったんだと思った。

幸い、紙とペンを選べば多少は思うような字を書けた。でも書きたい字には程遠い。文字に対する万能感はもう無かった。これがここ9年間の話。

そして今!憧れていた万年筆をついに手に取ってみたら、思うような線が引けるじゃないか!ついでに過去の褒められた記憶も思い出した!その記憶をちゃんと自分のこととして感じられる!

自信が湧いてきた!私、まだ書けんじゃん!

私は今、9年分のフラストレーションを解き放っている。マジで買った日から毎日書いてる。見たものを全て書いてる。楽しい。楽しすぎる。かつての万能感を取り戻した気持ち。今なら、万年筆でならなんでも書ける。思うように線が引けるから多少思うように書けなくてもなんでもない。練習すれば良いんだもん。

今まではいくら書き直しても納得のいく字に辿り着くことはなかった。それが今は、数回練習すれば辿り着く。苦手な「り」とか「む」とか「書」とかは辿りつかないこともあるけど。でもなんてことない。練習すれば良い話だもんね。

■伯父に復帰の意思を伝えた。次の診察までは迷うけどと言い添えつつ、なんだかんだ親戚には言ってるな。ご心配おかけしましたと、ありがとうございますと。伯父は「無理せずにね」「感情をコントロールして、自分の意思をしっかり持ってね」と言っていた。伯母は不在だったので、伝えてくれるようお願いした。

■今日はお彼岸の中日だったので祖父にお線香をあげに行った。遺影の笑顔の祖父は生前と同じく、私が遊びに行った時に見せる嬉しそうな顔に見える。それはいつも私が遊びに言ったときにその表情で喜んでくれたからだよね。「私が行くとその顔で喜んでくれる」って私が今でも思えるくらい、祖父は毎回喜んでくれたんだよね。亡くなってもなお、祖父からの愛情を全く疑うことがないというのは、本当に幸せなことだと思う。

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm