■今日は日付回って1:30まで兄と電話をしていたので手短に。好きなおでんの具とかガジェットの話とか、とりとめのない話を3時間半。良い時間だった。
■今日親友が急遽クリスマスプレゼントを渡すためだけに会いに来てくれた。遠いのにわざわざ来てくれてすごく嬉しかった。「トコジラミが怖いから万が一を考えて郵送を避けるために」って理由で直接渡しに来てくれたらしい。苦労を厭わない、優しい人だ。
今の私の話をしたら、「好きなことだけして、ゆっくり休みな。頑張りすぎてたよ」と言ってくれた。「そうか、側から見てもそう見えるくらい頑張りすぎてたのか」と思った。休職する前、必死だったことは覚えてる。他にも覚えているけど、朧げで言葉にできない。
■元気でいたくないかもと思った、ってメモが残ってた。親友と会う前に残したメモだ。どんなことを思って書いたのか分からないけど、親友と会った後に「元気なことに囲まれて、それによって元気でいたいと思った」って追記されてたから、多分「元気なふりをしたくない」っていうことなんだと思う。私もそう思うよ。
■私は「今は変化の時で、自分が何をしたいのかとか、これからどうしていきたいのかを今一度見つめ直す時」だと思って過ごしている。これは「その時が来た」ってより、「今をその時にする」と思って意識的にやってる。心身壊したことがきっかけになって、休職中で時間できたしやってしまおう、仕事始まったらまた考える暇なくなりそうだし。みたいな。なし崩し的な始まりだけど。
もしかしたら、見つめ直すっていつでもできたのかもしれない。でも今まで過ごしてきた時間や、乗ってきた波を間違いだったと断定する結論に至りそうで、それを直視するのが何よりも怖くて嫌だった。
だから先延ばしにしてたし、決断については今も先延ばしにしてる。それでも、毎日ほんのり考えてるだけでも何か違うんじゃないか?と祈りに近い気持ちを込めて、一応、毎日、ほんのり、表面を撫でる程度に見つめ直している。目を背けたりも、全然するけど…。
でも今 確信してるのは、私は最終的には今までの時間の全てを「必要な時間だった」と言い切るだろうということ。私は、自分の過去の一欠片でさえも「無駄だった」なんて言いたくない。過去を薄情に切り捨てられる人間ではない。私の過去のすべてが、私がここに至るまでに必要な時間だった。全てに納得してそう言い切れるまでには時間がかかるだろうけど。
■今の自分が精神疾患由来の状態で、変なのは分かる。でも、変な中でもちゃんと変なのか?が気になる。適応障害の人って、1ヶ月休んだ時は今の私みたいになるのかな?とか。でも今「適応障害の人は1ヶ月休んだ場合大体こうなりますよ」って言われたら、それに沿った言動をしてしまいそうだし、自分に対して「そんなことできる元気あるんだ」とか思ってしまいそう。
人の状態に正解なんてないのに、私は一体何を言っているんだ?私はこんな時でさえ“正しさ”に執着するのか?もはや怖いよ。
■昨日まで感情の起伏が無いって言っていたけど、それに加えて自発的な欲求がないような気がしてる。会いたいって言われれば会いたいけど、自分からは会いたいって思い付かない、みたいな。
誘われたら嬉しいんだよ。誘わないでくれってわけじゃないんだよ。ただなんというか思考が、いろんなことを諦めようとする方に傾いているというか。なんでかは分からない。あまり自分がしたいことについて考えていないのかもしれない。
■あと私、毎日めっちゃ寝てる。毎日8時間〜9時間半寝てる。日中ほぼ動いてないのにこんなに眠るのは薬の作用なのかな?私のポテンシャルかな?本当は早めに日記書いて21時頃に寝たいんだけどなかなかできない。難しい。生活リズムは追々でいいかなぁ。
■今日はここまで。全然手短に書けなかった。おやすみなさい。