2023年11月29日(水)

てんすい
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公開:2023/11/30

■今日は足を延ばして遠い公園まで来た。公園内のカフェに入って、思いがけず憧れの「カフェで文章を書く」ができたけど、ちょっと想像と違った。私が欲しかったのは「私のことを知ってる人が誰もいない、ほぼ無音の環境」だったのかも。イヤホンのエドシーランを押し退けてまで、知らない人の決算報告の話が聞こえてくることまでは考えてなかった。仕方がないからエドシーランに声を張ってもらってる。カフェが閉まるまであと30分。この後はどうしようかな。

■Twitterを見なくなった。常に正しさや間違いを主張する投稿が溢れてて、昔はいろんなことを知っていることが良いことだと思ってたから一生懸命見てたけど、今は「私は今見えない壁を一枚隔てた世界にいるから」と思っているからあまり感情が動かない。いろいろな意見に対して、「良い」とも「悪い」とも、「なんか言ってるわ」とも「どっちでもいいな」とも「ふーん」とも「へー」とも思わなくなった。「いつか前みたいにまた興味が出るでしょう。だから今だけは離脱させて…」と考えているわけでもない。話の最後に、(例えば)「まあいいか」と言って話を締めくくる、みたいな行為に気乗りしなくて、そのまま置いておいている。話を締めくくらない。これから先ずっとこうなのかな?とか一応思ってみたけど、それもちょっと前に結構遠くに置いた。

■カフェで書いた文章は「人に見せる用」の文章になってる。「この後はどうしようかな。」なんてそれの最たるものだよ。「。」までつけてるところが微笑ましいね。

■考えを言語化して『日記』が書ける時間帯は、まさに今みたいな時間なんだよな(AM1:07)。でも早く寝たいんだよなあ。早起きする?昨日の日記を書くところから1日始めてみるとか?いや…(これも置いておこう)。

■私は誰かを小さくハッピーにしたいという欲求がずっとあるなと思う。幸せではなくてハッピー。それは、私が大切にしたいと思う人が「クッキーが好き」と言ったとしたら、「何か贈る機会があったらクッキーを添えようかな」と思う程度。この欲求は今もあるよ。多分これからもある。

■明日で仕事を休んでから丸1ヶ月になる。最初は仕事のことが気になったけど、今は何の感情も無い。私をここまで追い詰めた人達に対しても、すごく気にかけて心配してくれた人達にも。でも、行けなくなった時に感じたことは心の中に残ってる。あと、傷病手当の手続きを早く進めてくれってのもずっと思ってる。

■今の私は、1ヶ月前と比べて多分結構違う。感情の起伏は鳴りを潜めたし、以前の『元気な私』も身を潜めた。淡々としてるかもしれない。明るさは半分くらいかも。

ちょうど1ヶ月前、陽が傾くのを見て「明日が来る、明日は仕事に行かなくちゃ」と思って過呼吸を起こした。それからは全神経を使って自分の状態を注視してる。今はずいぶん落ち着いた。原因から離れたことと、感情が動かなくなったことが理由だと思う。私に起きた変化は大きい。

今回の件で初めてメンタルクリニックにかかった後、母が私のためにいろいろ調べてくれた。「会社に病院で言われたことを伝える時は、『お医者さんから休むように指示があったって言われた』って言い方をすると良いらしい」とか「『傷病手当の手続きをしろってお医者さんに言われた』って言っといた方が後々良いらしい」って言った後に、「ごめんねつらいのにこんな話をして」と私に謝った。

私からしたらありがたい以外の何物でもなかったから「私では知ることができなかったから、ありがとう」って言ったけど、母からしたら、謝罪を添えるほどに私がつらそうに見えたんだと思う。私がこうなったことに私の落ち度は一切ないから、私が「ごめんね」と言うのも違う。そう考えたら、私をここまで追い込んだ人間の罪は重いなと思った。

■半月くらい休んで少し元気が出てきたとき、「私と私の周りに何が起きたのかが分かるようになって、それについて自分が思うことも見えてきてつらいな」と思ってた。でも北海道旅行を経て、「私がしたいこととかこれからどうしていきたいか」を考えようって思えたから、気づいたらあのつらさも無くなってたな。

■私の思っていた“普通”は数百あるうちのひとつって気づき、大切にしたい。

■自分の考えてることだったらいくらでも書いていられるんだけどな。推敲もほぼしてないから、後で読み返してこっそり修正するかも。

■今日はたくさん書けました。2つ目の文章の途中からここまで2時間くらい書いてたな。この文字数がこれからの枷にならないようにしよう。

■書き終わりはAM2:35。おつかれ様でした。おやすみなさい。