新年会、別人、境界線

てんすい
·

2024年1月3日(水)

■親戚との新年会に行った。そこで従姉妹の子供の写真を撮ったんだけど、クラウドに保存する写真を選ぶっていう整理作業が全然進まない。

私は従姉妹を好きではなない。「そこに子供がいてはぶつかってしまうよ」という声を聞かずに子供を机のそばで遊ばせていることとか、その結果子供が頭をぶつけてしまうこととか、従姉妹が「子供がハイハイしたいみたいだから机を片付けていいか」と会の途中で言って、出されていた食事が片付けられてしまうこととか、そういうのを見て疲れた。彼女はこういうことを今までも数えられないほどしている。塵が積もって山となった今、私はもうなるべく関わりたくない。

■それと、「食事」の意味の「おっぱい」をみんなが連呼するのがきつかった。特に従姉妹の旦那さん。私からしたら他人だから。子育てを経験すれば平気になるのか…。

■会の途中で心のスイッチが切れる感じがして、考えることをやめてしまった。ストレスがかかった時の「自分を守るモード」に入った。そしてそのまま日記を書いてる。

せっかく昨日あんなに元気になったのに。

■従姉妹の子供のうち1人は祖父に似ている。従姉妹から送られてくる写真を見て生まれ変わって帰ってきたんじゃないかという話を何度もした。私も祖父の写真をまた撮りたくて何枚も撮った。

抱っこしたとき、人差し指で頬にツンと触れられたときは嬉しかった。私たちの顔を見て笑って手をたたく様は可愛らしかった。それを祖父だからだと言って笑い合っている時は心が温かくなった。

だけど仏間には祖父の写真と位牌がある。新年の挨拶をと思ってお線香をあげたとき、あの子供は祖父ではないと当たり前のことを思って泣いた。

■自分は近くにいる人の機嫌が悪くないと分かると安心する。そういう意味で人には笑っててほしいという欲求が常にある。笑ってなくても機嫌悪くない感を出して欲しい。そしてここまで書いて思った。自分の感情を他人に左右されたくない。最近聞いたバウンダリー(境界線)って言葉が鍵になるかもしれない。

私は境界線がはっきりとしていない気がする。元気な時ははっきりさせられるんだけど、元気なときなんて数日しかない。もっと考え方を変えたい。

■書きながら写真の整理を終えた。選ぶのが面倒で全部保存した。

■今からガチ文書くよ。→【追記】書き始める時間が早いとざくざく書けるなぁ〜!!

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm