怖い文章になっちゃった

てんすい
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2024年2月16日(金)

■数日前の日記をぼんやり読み返してる。

全部がほんのり不安で、その不安が大きくなると怖いという感情に変わる。泣かないけど泣きたい。

何もしないことへの罪悪感は最近やっと薄れたけど、疲れたなぁと毎日思う。

「(私の)適応障害は根深い」と思ってしまった。ストレスがピークを超えた時に泣くとか吐くとかの症状が出るだけじゃないし、原因から離れればすぐに良くなるって話でもなかった。私はどこかで、「私がおかしくなればストレスから離れられる。離れれば体調は良くなる。それならば、」と、自分に無理を強いていた。

■最近は泣かないし職場のいろいろを思い出せるようになった。言われたりされたことは相変わらず思い出せないけど、ババアとジジイの顔と名前を思い出したくらいでは怒らない。もっと趣味やりたいなって意欲も出てきて、ジムやろうかななんて言ってる。

だけど何かが違う。

健康かで言えば健康だし、元気で笑ったり怒ったり感動して泣いたりできる。プラスの感情もマイナスのそれも感じる。家事したり近場に出かけたりできる。物も考えられる。

だけどその内側に何かがある。前は無気力って書いたけど、今は無気力とも違う。これはなんだろう?

絶望と言うほど輪郭を持っていないし、諦めと呼ぶのも違う。私の感情をマイナスに引っ張るわけでもない。だけど存在感をもってちゃんとそこにいて、私の体をほんの少し傾ける。薄い影みたい、だけど地面に落ちずに私にピッタリくっついてる感じ。これを『抱える』と呼ぶの?

■この何かを含めた私が、“普通”を着て生活してる。

普通に生活しているんだけど、普通の生活を“やってる”なあと思う。自然とこの生活になったわけじゃなく、今、私は“普通”をしている。

じゃあ「実はこの生活をしたくなくて、他にやりたい“普通じゃないこと”や“生活”があるのか」と言われるとそうでもない。

今までと違う内面になったのに、今まで通りのことをしてるからそう思うのかな。「抱えながら今まで通りみたいなことができるんだな、そこは両立するんだな」と。両立できるなんて変な感じ。

■良くなった時のことも考えるけど、それ以上に「これからずっとこうなのか」ってのはかなり考える。

これから先もこうで、上手く付き合っていくようになるのかな、という気持ちを少しずつ育ててる。腹を括る、みたいな、瞬時にグッと力を込めることはできない。受け入れるのには準備がいる。そのために少しずつ育てる。

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm