素直に嘲ることもできない人間

てんすい
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私が住んでいるところに旅行へ来た人のインスタの投稿を読んだ。投稿主には数万人のフォロワーがいて、最初は褒めていたけれど、古びた遊園地に入ったあたりから雲行きが怪しくなった。

彼らは、「めざとさがここを楽しむ最大の必需品なのだ。」と言いながら『ノスタルジー』という言葉と共に遊園地の様子を嘲笑っていた。

遊園地は入園料も取らず、日曜日に工事をしていたり、アトラクションが運休だったり、遊具がかなり古い。

投稿主の言葉を借りるなら、その遊園地には「隠すべきところを隠さない潔さ」があり、それを持ち前のめざとさで指摘し、笑い、それはそれは楽しんだらしい。

私が一番許せなかったのは、実際に遊具で遊ぶ人達を背景に、同行者が座っている動画。同行者は臆面もなく遊具を見て、こちらを向いて笑い、それを何度も繰り返す。撮影する投稿主も笑いが止まらない様子だった。この動画は先の文章と共に丁寧にハイライトにまとめられていた。

彼らは廃墟やノスタルジックなものが好きなわけではない。彼らは古さに魅力を感じているのではなく、(彼らの思う)遊園地にあるまじき様相をめざとく見つけて(それこそ石ころにさえ)突っ込んで笑う。そしてそれを「楽しかった」と言った。満足度は100だったらしい。

私はそこに愉悦や満足を感じる人間を好きにならない。

怒っててうまく言葉にできないけど、遊園地が“そう”在ることは、笑われる理由にはならない。数万人の前でするなんてもっての外。

私は肯定の皮を被った嘲りや否定が嫌い。姑息な性根が透けて見える。最後に楽しかったと言えば何を言っても良いわけではない。

この県に住む人間として良い気などしない。もう二度と足を踏み入れないでほしい。

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm