私がクリエイションだと思っていた

ninado
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人より劣っていても、拙くても、表現のあるべきところを常に考えていればクリエイションの全てを理解できると思ってました。でも、作ってないじゃん。ただ求められたものをぼーっと作ることすら難しくて、ならクリエイションではない私はなんなのでしょうか。

凡才でもいいから、凡人であることだけは嫌でした。常に向く方向は表現の方でありたい。でも、人生は思ったよりたくさん見なければいけない部分があって、私はきっと、このまま人生に翻弄されて人生の奴隷です。表現に仕える創作者になるには、まだ早くもう遅かった。そういう事なのでしょうね。同じ奴隷なら私は表現の奴隷でありたい。私はクリエイションでありたかった。

これまでを納得させるために美大を卒業して、そして2年、気づきました。僕の言う人生の納得と言うのが、表現に満足してもらえるほどに仕えることが出来たか。そして、あれからの人生を納得させるためには、その都度人生の評価タイミングを作る必要があるということ。去年は3Dキャラクターをリリースしたのがそのタイミングでした。今年は難しいかもしれませんね。そして人生がどんどん納得出来ないようになっていくのでしょうか。

@ninado
多分誰も信じてくれないと思うんですけど、カンピロバクターに当たったことがあります。