私は私自身の心を客観的に見ることが好きなので、「言葉の違いを自分なりに言語化する」ことをたまにします。この文章はその過程で生まれた備忘録?メモ?的なものです。いっぱい書き出せてスッキリしたから、全部わすれて5年後くらいに見返してみたいな〜。
違いの言語化
「見張る」
相手への関心があり注意を保ち続ける
相手をヘルプする用意ができる
自分へのダメージを下げるのが目的
問題が大きくなる前に対処するためのマネジメント
相手をどのように成長させるかというゴールはない(もしくは放棄している)
性悪説に基づく
相手の行動を信用しない
見守る
相手への関心があり注意を保ち続ける
相手をヘルプする用意ができる
相手のベネフィットを上げるのが目的
自分への問題をある程度許容し、長期的に解決能力を上げてもらうマネジメント
相手をどのように成長させるかというゴールが設定できる(ゴールによっては許容範囲が変わる)
性善説に基づく
相手の行動を信用する
見ているだけ
相手への関心はあるが注意を保たない
目の前で問題が起きたら対処する
もしくは深刻な問題が起きても「信じて見続ける」
特に目的はない(ように見える)
自分へのダメージも相手のベネフィットも気にしない。見ているだけ
もしくは相手に最大限任せるという建前で責任を放棄している
性善説に基づく
相手の行動を信用する
見放す
相手への関心がない
相手をヘルプする用意をしない
相手に対する自分の責任を切り離すのが目的
マネジメントを放棄する
相手の成長を求めないし、相手の起こした問題も自己責任として処理する構え
無関心に基づく
自分の意思で一方的に決定できるため、相手の行動に依らない
「見守る」に向かうためのアクション
見守る人向け。心がけておきたいこと。
「見張る」「見放す」に陥らない
必要な言葉は伝える
相手の良い行動には良かったと伝えて損はない
改善するべき行動をいつ・どのように伝えるかは、相手目線を意識しながら次のように考えると良い
【考え方1】相手の主体を尊重する
相手の考えや行動の理由を性善説的に捉え、信用する
相手の「できてない部分」を「(自分が)与え補う部分」ではなく「(相手が)学び取る部分」と考える
知識を与えるよりも、自ら経験した方が帰納的な考え方を鍛えて対処能力を上げられると考える
「自分目線で相手にとって必要だと考えるヘルプ」ではなく、「相手自身が必要だと考えるヘルプ」を与えるようにする
ヘルプが必要かどうか、どんなヘルプがほしいかを聞くなどする
ヘルプが必要でない時も、いつでも手助けする気持ちがあることは伝えておく
【考え方2】「自分の思惑通りにならないのが当然」という考えを前提にする
全く同じ考え方の人間はこの世にいない
自分にとっての「正解」もこれまでの経験と環境によって育てられた局所最適解でしかないと自覚する
自分のやり方に従ってもらう「近道」が相手の思考を硬直させることにならないか注意する
【考え方3】好き嫌いではなくビジネスパートナーとしての利害関係で相手を見る
感情ベースで相手との付き合いを考え始めると距離感を適切に保てなくなる
「相手のため○○する」の考えには自分のエゴが少なからず含まれることを自覚する
好き嫌いからくるエゴなのか、自分にとってのメリデメからくるエゴなのかを理解して行動することが大事。混同すると距離感を間違えることにつながる
相手への関心がなくても迷惑は自分に降りかかってくることを理解する
無関心に見放してもトラブルの責任が自分に全くないことにはならない
ビジネスライクな関心でも、持っておいた方が自分にとって損をしない
「見ているだけ」に陥らない
必要な言葉は伝える
「見張る」「見放す」に陥らないためのアクションと同じ
相手の状況と気持ちのモニタリングを定期的に行う
相手目線で「何が起こっているか」「どんなメンタル状態か」を語ってもらうことで問題を把握しやすくなる
問題が分かれば原因と対処法についても考えやすくなる(もちろんこちらから与える必要があるかどうかも相手目線で判断する)
定期的に状況を確認しているというアピールが「相手への関心がある」ことを示す効果になる
声をかけることがヘルプのトリガーになることがある
相手から言い出せないことや、相手が言語化できずモヤモヤしていること、相手が相談するか迷っていることなど「潜在的な問題」は意外と多い
自分から声をかけることで「潜在的な問題」を口にするきっかけが生まれやすくなる
何か潜在的な問題があるんじゃないかと勘繰って余計な詮索を入れる必要はない。相手が気持ちを言葉にするのを待つ方が打ち明けやすくなる
「見守ってもらう」ためのアクション
見守られたい人、見守られている人向け。心がけておきたいこと。
「見守ってください」は言わない方がいい
「見守られている」かどうかを判断するのは自分
相手にとっては見守っているつもりでも、こちらが見守られてないと判断すれば見守られてないことになる
信頼関係がない内はお互いに「見守る」の判断基準を共有することも難しい
結果、相手目線で考えると「口出しをするな」と暗に伝えているように解釈されることもある
信頼関係がしっかり築かれた相手への言葉として言うならアリ
「見守られている」ことは伝えた方がいい
自分に対する相手の良い行動へのフィードバックは伝えておいた方が得
「見守ってくれるので○○できる(できた)」など
ビジネスライクな距離感が大事とは言ったものの、信頼関係のきっかけは感情から生まれることの方が多い。不合理ですが人間ってそういうものです
自分への対応を改善してほしい場合は「見守ってほしい」ではなく具体的なアクションで伝えると余計な摩擦を生みづらい
「最後にアドバイスをもらいたいので完了するまで私に任せてほしい」など
感情を逆撫でする伝え方にならないよう気をつける。特に手紙・メール・チャットのような表情が見えないツールを使う場合は言葉の使い方で全く印象が変わる
お互いに見守る
見守る側にいる人も同じく成長しようとしている人間だと理解する
未熟な部分は必ずある。「見守る」というアクションをとるために成長しようとしている
「自分の思惑通りにならないのが当然だと思う」ことも同じく理解しておいた方が良い。どの人間関係も相手の思い通りにならないという点で同じ性質を持つ似たもの同士である(哲学的な言い方になってしまった)
「見張る」「見放す」「見ているだけ」に陥らない
相手を尊重し必要な言葉を定期的に伝えることで、お互いに見守るモデルを作ることはできる(はず)
見守っているかを厳しくチェックする(見張る)、見守ってもらえないと諦める(見放す)、相手からの一方的な「見守り」を受け入れるだけ(見ているだけ)から上記のように一歩進むことで、自分の望むコミュニケーションに近づくことができる