何歳になっても学びというのは続いていくものなのだというのはよく知っている。学びは教科書を開くことだけじゃないことももうわかっている。
それでもこの日本では学歴が重視され、親からはなぜ勉強をしないのかと言われる始末である。
行きたい大学もなりたい職業も目標もモチベーションも何もない現段階でどう勉強していけというのだろうか。
成績をちゃんといい状態でキープしていたらどこに行きたくなっても選択肢が狭まることはないと言われ続けてきたので成績だけはいい方だろう、自分の知識と気持ちを別とすると、だが。
過去の私がもがきながら頑張ってくれていたおかげで指定校推薦も視野に入れていいといわれ、安心して今のまま勉強しろと言われたが、何を安心したら良いのだろう。
将来のビジョンが一向に思い浮かばず、漠然と将来を思い描くと必ず最初に浮かんでくるのはその時まで生きていられているのだろうか、という気持ちである。
長生きしたいなどとは全く思っていないし、できるなんてことも思っていない。美しいままで死にたいし、死ぬ時のためにも美しくありたい。
少ない人生なら尚更勉強をこんなに一生懸命している時間だけでいいのだろうかと思われる。日々学校へ通い、へとへとになって帰宅し、体力回復のために眠る。私の生きている意味などそこには存在しないように感じる。こんな日々が一生続いていくだなんて耐えられない、いっそ終わらせてしまいたいとそう思う。
常日頃こうやって自分と対峙し、生と死の狭間を心が揺れ動いているっていうのに勉強を集中してできるわけもなく。
だがこの世界で生きている限り学歴は私の武器となり私を守ってくれるものにもなりうる、不本意ではあるが。
学ぶことが嫌いなわけではなく自分に落とし込める興味もないし、勉強の意味がわからず納得できていないのである。学歴で地位が決まるこの制度も、長時間がんばれば褒め称えられる社会も、人間性を垣間見ない成績表も。
普通のレベルが年月を重ねるごとに上がってきて、普通でない、普通から外れてしまったものは阻害される。普通が良いなんて、幸せのテンプレートなんて崩れて仕舞えば良いのに。