親によく「自分の方が悲惨な人生送ってきたからその程度で悲劇ぶるな」(意訳)と言われることがある。
自分は別に悲劇ぶってるつもりもないし辛い事があったら口から溢れてしまうのは仕方のないし人によって辛さへのキャパシティも何を辛いと感じるかも違うので仕方ないと思う。
それでもやはり親には無条件で親らしさというか優しさを求めてしまうのだ。これは自分のエゴでしかないし親がそういうタイプの人間ではない事は理解している。
親も人間だしきっと余裕がないのだなととても思う。人に優しく気を使うのは余裕がないと出来ないことなので。
ただそれを言われるたびに行き場のない怒りと虚無感に支配されてしまう。
なぜなら私が生まれてきたのは全て親が一時的な快楽に身を任せてからで未来のことも考えず私を産むという選択をしたからだ。と思春期の子供のような考えで思考が止まるのだ。
エゴによって生まれてきて日々死にたいと思いながら生きているのに私には私が望む私でも理解ができる優しさを与えてくれる人間が居ない虚しさが露わになる。
私にも余裕がないのだな。親の言葉を受け流せるだけの余裕があればこんな気持ちにはならないのにな。
お互いに余裕がないんだ。
だからこそ最終的に辿り着く考えは余裕がないなら私のことを産まないで欲しかったな。
だけど。