給食が好きだった。好きじゃないメニューの日も、クラスの人数分あるたくさんのご飯がクラスに運ばれてくるだけで、毎度嬉しい気持ちになったし、当番の時にそれを盛り付けていくことも好きだった。そんな学生だったものだから、給食に関しての思い出が多い。
給食の飲み物が牛乳だったのも、嫌な気せずいつも飲み切っていた。欠席者がいて、おかわりができる時は、進んでじゃんけんにだって参加した。私の通っていた学校では、水の張ったバケツが用意され、食べ終わったひとから牛乳パックを一人一人が洗い、それぞれで開いておくことがルールだった。私はこのバケツが白く濁った頃に洗いに行くのが嫌で、いつも1番を狙っていた。
学校じゅうの牛乳パックを集めていた倉庫は、回収用の麻袋に、乾きが十分ではない状態で入れたクラスがない限り、部屋全体、紙袋の匂いがして、私はその匂いが好きだった。一緒に捨てに行った子が、自分と同じ思いを嬉しそうに話していたことを、「私もなの」と言えずに黙って共感に胸躍らせたことを何故か今日の日まで鮮明に覚えている。
中学3年生、卒業式前、ひな祭りでフルーツとしていちご2粒が出た。高校受験日が重なり休む人たちが多かったため、いちごのおかわりはたくさん用意されている状態だった。勿論いちごを狙う子は多く、私以外は男の子だった。そこにいつも言葉数が多くない先生が一言、「女の子のお祝いの日だぞ」と言ったのを聞いた男の子たちが話し合い、バットごと私の机へ持ってきてくれた。結果、1人が貰えるにしては多くのいちごを食べることができたのだ。
今でこそ、性別に関して悩むことは尽きない。この出来事だって、今の価値観に照らし合わせたら、正義とは言えないかもしれない。それでも当時の私には、先生の一言で、皆が考え、あげようと思ってくれたことが、すごく嬉しかったのを覚えている。思いやりのなか、誕生日をお祝いされたかのような心地だった。これは、男性に認められてはじめて女性としての自覚が芽生えたはなしではない。単に、人の思いやりが嬉しかっただけの話だ。
自分が好きだった給食のメニューは住んでいたまちの考案メニューだったらしく、古いサイトにそのレシピが残されている。私はたまにそれを作っては、こういう、給食にまつわるまばゆい思い出たちを頭に浮かべている。