バレンタインが終わり、その規模感には見劣りするホワイトデーに向けた催しが各所に見られるなか、私にとっての次のチョコレートと縁深いイベントは、イースターだ。
イースターが、うさぎやカラフルな卵の可愛さから日本でも雑貨店などで取り糺されるようになったのはここ数年であろうが、私とイースターの出会いは、今から10年以上も前である。
というのも、私は縁あって、イースターが通年儀式として根付いている土地に、たまたまイースターの時期訪れ、実際のそれを見て感じたことがあるのだ。
年端のいかない前提知識ゼロの子供には、それがどういうものなのか全く分からない。けれどその国、その土地、そこにいるすべての人が確かにずっとある習わしのなかにいて、自分だけがそれを知らないこと、感じる刺激が未体験だった。
知識のない子供が感じ取れたのは、イースターにもらえるチョコレートがとびきり砂糖の甘さがしたことだけだった。うさぎやたまごの形をしていて、中は空洞で、歯の神経に直接響いてくるような甘さをしたチョコレート。それはその時期に、街のどの店にも売っていて、どの家にもあった。
最近リンツの店に立ち寄った際に、まさにそのうさぎの形をしたチョコレートが売っていて、帰路、暗中模索な子供時代の経験に思いを馳せた。
あの時の私が、あの時になりに全力で感じたことが今の私につながっている、ひとりじゃない、ということは、こういう時にも感じられるのだと、嬉しさが胸に灯って、しばらくは温もりが消えずにいた。