10年生き延びてきたから

ninomiyamisaki
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公開:2025/4/9

今年は、乳がんになってから10年という、わたしにとってのメモリアルな年だ。お祝いに、どこかへ旅に出ようか。それとも、大好きなダイヤとゴールドのアクセサリーを買おうか。サンローランのバッグも欲しい。

節目として、これまで自分の柱としてきた「患者としての活動」に一区切りをつけ、CancerWithから離れる決断をした。

「10年」というのは記号に過ぎない。

乳がんのうち、ホルモン受容体のある閉経前の女性に対しては、ホルモン治療を10年間行うことが多い。わたしも主治医からその治療を伝えられた。しかし、それももうすぐ終わる。当時通っていた京大病院の積貞棟で、採血をしながら、看護師さんに「治療が終わってもまだ30代よ!」と言われたことは忘れない。良かれと思って励ましてくれたことはわかる。その看護師さんの年齢に近づき、まだまだまだ若いからなんでもできるよ!と伝えたかったんだろうと想像する。でも、わたしの30代をなんだと思っているんだろう? わたしの30代は、そのほとんどが治療に消えていくんだな、と悲観的に感じた。

振り返ってみれば治療を続けながらも、がんであることを言い訳にせずに「自分らしく」生きることに覚悟を持ち続けた10年だった。がんであるからと言って、いろんなことを諦めたくなかったし、がんだからといってかわいそうだと思われたくなかった。入院した大部屋で、「若いのにかわいそう」と言われたときの絶望感は、今でも忘れられない。でも、歳を重ねるうちに、自分もまた、自分より若い患者さんにそう思ってしまう瞬間があることに気づいた。

国立がん研究センターの出す「がん情報サービス」では、5年と10年の相対生存率を出している。それ以上のデータは公開されていない。ブログやSNS、YouTubeなどで闘病記や治療の様子を発信している人も多い。でも、10年以上経過している人はほとんど見ない。だから、10年以上経った患者の姿を想像しにくい。ロングサバイバーで元気に暮らしている人もたくさんいる。けれども、もしかして残念ながら続けたくても続けられないんじゃないかとネガティブな想像もしてしまう。

先日、同じ時期に乳がんに罹患した知人が、再発によって旅立った。同じ2015年に罹患していたから、彼女も今年で10年を祝えるのだと思っていた。少しだけ年齢は上だったけれど、罹患時は同じAYA世代で、病期も近かった。精力的に活動していて、AYAweekの会場でもお世話になった。本当に悲しくて仕方ない。どうか安らかに休まれることをお祈りしたい。ねえ神様、どうしてこんなに意地悪なことをするんだろう。

乳がんというのは、他のがんに比べて比較的予後がよく、標準治療に恵まれている。けれども、今こうして生きているというのは、本当に、ただただ運が良かっただけなのだ。

「自分らしく生きる」なんて、戯言だと言われることもある。AYA week 2025のテーマとして「がんであってもなくても、『自分らしさ』を大切にしたい」と掲げたとき、さまざまな意見がでた。つらい治療の中では自分らしさに向き合う余裕なんてないこと、周囲から自分らしさを押し付けられたくないこと……。

でも、それでも、わたしは自分の人生を諦めたくない。そのために、今年は「本当の自分らしさ」と向き合っていく。