一月の日記

nishiray
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一月一日

長野で年越し。陽が出れば廊下も暖かい。朝はお雑煮。醤油ベースのすまし汁に角餅。昼は東京から来た弟と、従兄弟たちと一緒に寿司。夕方に石川能登で震度7の大地震。このあたりは震度4程度で、長く揺れた。石川県では何度も余震が続き、帰りの特急あずさが73分遅延した。諦めてもう一泊した。

一月二日

思いがけず長野4日目。のんびり起きて箱根駅伝の往路を見る。伊那地方には一月二日にとろろを食べる風習があるらしい。大きなすり鉢で山芋をふわふわにするのだが、それが案外力が要って大変だと祖父が話した。でも、今日のお昼はすき焼き。定刻のあずさで帰宅した。

音楽:5 SONGS -EP/Mattia Coletti &王舟

一月三日

何もしなかった日。暖房の効きが悪いとか理由をつけて昼まで布団で過ごした。キッチンシンクとお風呂とリビングの床を掃除して、洗濯物を干した。一日中お腹が空いていた。昨晩40.4キロあった体重が、39.5キロになっていた。正月太りと無縁すぎる。夜は夫の作ったポトフを食べた。

一月四日

連休最終日。部屋を片付けては休み、ごはんを食べては休み、老人みたいにゆっくりと生活した。首肩腰のすべてが痛くて、少し動いただけで心臓が早くなる。一年かけて年相応の健康な身体になりたい。

数日前から『宝石の国』を読んでいる。モノクロだとキャラクターの区別もまだつかないが、月人がやってきた黒点の恐ろしさはモノクロでこそ映えるのだろうな。

読了:みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに/小沼理

一月八日

昼、浅草《たんぽぽ》でカレーを食べる。生姜は苦手なはずなのに、また食べたいなと思う味。店内に流れるラジオのDJが新成人への祝いの言葉を述べていて、そういえば今日は成人の日か、と思い出した。夫とふたりで「祝日をありがとう」と新成人に感謝した。

一月九日

出社。6時半はまだ薄暗い。今週あたりがいちばん日の出が遅いらしい。小さいおにぎりを食べた。夜、青葉市子を聴く。クラシックギターを爪弾く姿も、楽器のような声も、好き。

一月十日

ギターを弾く夢を見た。10年前の朧げな記憶で構成された夢なので、あやふやなままペグを回して弦を張り替えた。

一月十一日

出社。青葉市子を聴きながら、最寄駅までの道を歩く。歩けば絶妙なタイミングで捕まる信号を駆け足で潜り抜け、隅田川にかかる橋を渡る。南の空から、群れになった鳥が飛ぶ。青葉市子は『月の丘』を歌う。空をさいて、輝く影。

一月十四日

かっぱ橋で、大きな鍋と柳宗理のレードルを購入。喫茶店《CisZ》で昼食。私はナポリタン、夫は生姜焼き。松田聖子のレコードをリクエストしてかけてもらった。良い店!

一月十七日

在宅。以前、蔵前《kako》で作ったルームフレグランスをカーテンに。在宅勤務の気持ちの切り替え方を未だ模索中。アニメ『宝石の国』1話を観る。黒沢ともよの演技はすごい。

一月十九日

ふたりで在宅。お昼に味噌ラーメンを食べた。もやしピーマンしいたけ鶏そぼろを炒めてトッピング。家で適当に食べる昼ごはんに手間をかけると嬉しくなる。

一月二十一日

SNSの友人夫婦と遊ぶ。14時に集合してボウリング2ゲーム、そのあと焼肉。滅多にやらないことをふたつも出来て本当に楽しかった。最近体調を崩すことが多くて外では活動をセーブしがちだったので、その場の楽しいことをしっかり楽しめる体力が必要だと改めて実感。

一月二十二日

出社。午前中、とても元気。焼き肉のパワーを感じる。昼、食べたいものが何も思いつかずコンビニで立ち尽くし、なんか違うなと思いながら明太子パスタを買い、なんか違うなと思いながら完食した。

アニメ『宝石の国』4話を観る。王と海へ向かうフォスの「かけてみるか」の声色にドキッとする。このときからすでに、いつ砕けても構わない投げやりな気持ちがはっきり表現されていたんだな。原作では、海底での会話まで気づけなかったから。

一月二十四日

夜、ダイニングで日記を書き起こしながらMONO NO AWAREを聴く。コロナ禍で配信していた2021年フジロックでの「見守り合いのステップバラバラだがグッとくるグルーヴ社会をめざして…」というMCのひとことを時折思い出しては、いい言葉だなあと思う。

一月二十六日

ひとりの食事は味がしない。お風呂の中で湯船に浸かり、さっき食べたものを復唱した。しらすと高菜と明太子のごはん、レバニラ。夕方から左瞼がピグピグしている。山岸由花子? 仕事中、いつにも増してモニターを凝視していたから疲れたのかも。

何の前触れもなく嫌〜な感情が湧き上がるときが多々ありその度ウワーッとなってしまうけど、最近はみくのしんのデカい声を聴いてその思考を掻き消している。かまみくが3週連続動画で嬉しい。

一月二十七日

蔵前の書店《フローベルグ》で、かもめと街 チヒロさんの個展。チヒロさんの優しい雰囲気で心が緩み、サインを貰うときについ自分の話をしてしまった。最新刊と栞を購入。

自転車で浅草のスポーツセンターまで足を伸ばしたが、区民しか使えない施設だった。川沿いのタリーズで期間限定のドリンクを飲んで、日向ぼっこをして、ドラッグストアで色々買い込んで帰宅。短めのサイクリングだった。

夜、腰痛改善ヨガをして腰を痛めた。情けない。布団から身体を動かせなくなったので、カイロを仕込んで暖まりながら、日記祭で買ったZINE『靴紐がほどけたら』を読み始める。著者のふたりがお互いの日記に感想を書き込んだサンプル本が置いてあったのが印象的で購入した。知らない人の日記を読むのはおもしろい。

一月二十八日

昼、新宿《ターリー屋》でカレー。美味しい。久々のナン欲が満たされた。その後、ふたりでルミネを巡って夫の誕生日プレゼントを探し回る。結果的にジーンズに合わせる格好良いベルトが見つかった。良かった。

尹雄大『つながりすぎないでいい』を読み始めた。自分の漠然とした“できなさ”に気持ちが落ち込むばかりだったけれど、「胚胎期間」という考え方に救われる。いまはまだできないだけ。じっくりと読みたい本。

一月二十九日

仕事を終えて夫と渋谷へ。夫の父と大学の先生と会う。自分は誰かの(あるいは何かの)付属物という感覚がぼんやりとあり、まあそんなものかと思っていたこの頃。今回もそういう心持ちで行ったのだけれど、開示できる人間的な中身が無いことが悔しかった。感想としてこんなことを言うと楽しくなかったように見えるが、かなり楽しく酒を飲んだ。良い人と対峙するに相応しい自分でありたいと思う。

気持ちよく帰宅する電車内でSNSを開くと、つらいニュースを目にしてしまう。命が失われてからようやく事の重大さが伝わる、みたいなの本当に遣る瀬無い。

おわりに

今年から日記をつけ始めた。夫とお揃いで、ミドリの3年連用日記を買った。彼がどんなことを書いているのかまだ知らないけれど、いつか交換して読み合ったら楽しそう。

心の痛むニュースが多い年の初めだったけれど、せめて自分の手の届く範囲は、おだやかに、すこやかに生活したい。