父の仕事の都合上、私は「家族みんなで過ごす暮らし」をそこまで経験することなく育ってきた。正確には、私が生まれる前の数年と私が生まれてから数年はみんなで暮らしていたが、兄が小学校に入学するタイミングで父とは離れて暮らすことになったのである。当時過ごしていた場所や暮らしの記憶はというと、生きている人よりも、家具などの動かない物や毎日朝になると聞こえてくる鳩の鳴き声を断片的ながらによく覚えている。残らなかった記憶のなかに“家族みんなで過ごしている私”はいるんだと気付いたのはもう少し後になってからのことだった。
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父はその後何度か土地を転々としながらも勤め続け、今も別々に暮らしている。ただ、父は私や兄がまだ子どもの頃は週末になるとほとんどと言っていいぐらいには帰ってきてくれたし、いつ頃からか徐々に頻度は減ったものの、今でも月に1~2度は家に帰ってきてくれる。昔から父も母も「これぐらいの距離感がいいねん」と口を揃えて言うので、なんというか、本当にこれぐらいだったからこそ成り立っているんだろうな。帰ってくるたびに「物が多すぎる!これはもうあかんわ」と若干楽しそうに文句を言う父の姿を見ていると(家を出た兄も帰ってくると似たようなことを言う)「うちは変わらないなぁ」と思うし、同時に、いつまでもそのままの形であり続けはしないことを想像する。
既に心身が不健康の私が面と向かって伝えてもどの口が言ってるんだと思われそうではあるが、父も、母も兄も庭の草木や花も生き物も、彼らに限らず友人も相互もフォロワーもこれを読んでくれている人だって、私の大切な人たちができるならばいつまでも元気でいてほしい。亡くなってしまったおばあちゃんも、どこかで元気にしてるといいな。心の奥の方で、無責任ながらにそんなことを願っている。