動物番組(スタジオの人がかわいいーっ♡ってやるのじゃなくて真面目に生態を放送してる方)が好きでよく見るんだけど、いつだったかに見た番組に一妻多夫制の鳥類が出ていて、その鳥は雌中心の縄張りを持つんだけど、繁殖期になると繁殖相手を得られなかった雌が別の雌の縄張りにいる子どもを殺してその子どもの親の雄と番おうとしていた。一夫多妻制のライオンなんかでは雄がじぶんの遺伝子を引いていない子どもを殺すイメージが前からあったけど、そういう行動は、雄だからするのではなくて、制度(一夫多妻制とか一妻多夫制とか)のなかで不利になりやすいほうの性別が取ってしまう行動なんだなと思った。実際の生態としてそうなのかどうかは知らなくて、ただふたつの生き物の行動からわたしがそう思ったというだけなんだけど。一妻多夫制のなかでは雌が同じ種族のたにんの子どもを殺すというのが結構衝撃的で、衝撃を受けたことにも驚いて、じぶんのなかのジェンダーバイアス(母性神話に近いものかも)に気づかされた。
家父長制ということばがあるけれど、社会のなかでいままで男性のほうが権力を握りやすい立場にありそれをふるってきたから便宜上父ということばが使われているだけで、女性であっても家父長制的なふるまいになんの疑問もない人が権力を握れば家父長制を繰り返していくことになる。女性がリーダーになればもっと世界はよくなるとか女性だけの国があれば理想郷になるというようなことを言う意見もあるけどわたしはそれには賛同できなくて、性別ではなくその人が反家父長制≒フェミニズムの精神を持っているかどうかが肝心なんじゃないかなと思う。ただ、いまの世界では、とにかく女性がリーダーになってる姿を世界に見せるということの意味が大きいから、そのひとの性別がとても大事になってしまう。同じフェミニストなら男性よりも女性にリーダーになってほしいと思う。申し訳ないけれど。いつかほんとうに性別から解放されてそのひとの志や成果で評価できる日が来たらいい。
◯◯じゃないとフェミニストじゃない、というすべての制約はアホらしい。結婚したら家父長制に加担したことになる、とかもアホらしい(今の日本の戸籍制度や強制的夫婦同姓や戸籍上の異性しか結婚できないことのすべてに反対です、が、それはそれとして結婚=家父長制への加担って外から決めつけるのも反対)。世の中や暮らしってそんなに単純なものじゃないのに、そうやって積極的に敵をつくりたがる仕草はもったいないなと思う。
性別を答えないといけないとき男と女の選択肢しかないことを「ノンバイナリーを排除している!」とすぐ強い感情で反応してしまうのも良くない。だって冷静に考えると、ノンバイナリーを排除してやろうという気持ちが相手にあってわざわざそうしてるとはとても思えないから。昔からの習慣でそうしてるだけとか、システムの都合上そうしてたりする。ウェブや紙のアンケートならひとまず戸籍上の性別を回答したうえでどこかに記載できそうなら「どちらでもない」と書いたり、対面で回答を渡したり相手と話をできる場合は事情を話してみると、意外と相手もすんなりわかってくれたりする。いま目の前に「男・女」の選択肢しかないのは単にこれまで相手が「それ以外」のひとたちに出会ったことがなくてそうなってしまっているだけで、ここにいるからなんとかしてほしいと伝えつづければわかってもらえることのほうが多いと思う。ネットばっかり見てるとわからなくなっちゃうけど、実際に会うひとたちってだいたいみんな優しいから。対話するしかない、と思った。
にんげんの考えなんて脆いものだから、恋愛や性愛の対象が異性ではないひともいることが社会に知れ渡ると、次の次の世代くらいにはだれでも常に恋愛や性愛の対象が異性とは限らない状態となり、つまり恋愛や性愛をするひとびとはみんな相手のジェンダーにとらわれずパンセクシュアルのような感じ方、考え方になったりしないのかなとか考えてた。じぶんが死ぬより前にそんな世界になったらおもしろいのに。
これは現時点のわたしの考えをつらつら書いてみただけだから、一年後にはぜんぜん違うことを思ってる可能性もある。