哀れなるものたち(映画感想)

nakamura
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映画がたのしみで原作小説を先週読んでたから、小説との比較中心の感想。

小説にはアーチボルト・マッキャンドレスっていう男がいて、ベラは最終的にそいつと結婚するんだけど、映画のマックス・マッキャンドレスとは結婚しそうでしてない(したのか?よくわからないけど少なくとも映画のなかでは結婚した描写はなかったからたぶんしてないというかそこは重要じゃない)エンドになってた。個人的にはアーチボルトがいないって知った時点で結婚しないエンドを期待してたから(マックスがアーチボルトの立場なんだけど名前が違うからには違う展開になってほしい)、この改変はよかったと思う。小説ではアーチボルトと結婚して子ども3人を産んだうえでじぶんはバリバリ医師として働いて家のことを夫が見るっていう展開でそういうフェミニズムだったんだろうと思うけど、いま映画をつくるならわたしはこういう展開を望んでた。まあこのあとで結婚したとしても自立したベラが望んでするならいいと思う。

セックスシーンがかなりある。自慰シーンもある。けど正直そんなに気まずくなる感じじゃないというか男女のセックスシーンはちょっと滑稽で良かった。セクシーなロマンスではなくてベラがじぶんの性的な快楽を求めるためのセックスだった。すき。あと小説ではベラはセックスのことをウェディングって言ってたけど、映画では「熱烈ジャンプ」って言ってて映画の言い方のほうが好きだった。しかし……男性器がモザイクなしであらわになってて、男性俳優たちすごいからだをはってるな……(さすがにモブ役の人たちだけだけど)。ベラも裸になるシーンや上半身だけ、下半身だけ露出するシーンもあったけど、ベラはまったく羞恥を感じなくて堂々としてて、恥ずかしがってないひとの裸って「性」というよりただの人間って感じがしていいなと思った。

男性器は映せるのに女性器が映らない理由は?とか考えてしまった。からだの構造的に女性器を映すのは(肛門を映すのとおなじように)難しいからかな。男性器は男性が立ってるだけで見えるからね。

小説にいなかった(たぶん)けど映画ではベラが成長するのに大事な女性たちが増えてた。小説では、ベラが性に強い好奇心があるのはもともとのヴィクトリアからそうだったって元夫が言っててベラ(ヴィクトリア)の性質ってことのようになってたけど、映画ではベラが出会う女性たちも(上品で遠回しな言い方をしてたけど)性をたのしんでいて、ベラだけでなく女性に性欲があることがあたりまえのことになってた。とくにマーサがすごくよかった。ベラの関心が性から知へ移っていくのをあらわすのに大事なひとだったし、このあとで娼館を取りしきってるスワイニーという老いた女性が登場するけど、マーサは老いていることをみすぼらしく思っていない女性だったから、映画のバランスを取るためにも必要な人物だった(でもスワイニーのタトゥーはとてもクールだった!! 映画ならではのすばらしい演出! スワイニー自身もただ男に抑圧されてるだけの人間ではなく彼女なりのやり方で生きてる)。なによりも、ベラにとって大切な女性が増えたのがうれしい。娼館で出会ってその後いっしょに社会主義活動をするトワネット。映画全体で小説よりも女性同士の関係に深みが増していて良かった。

貧しく亡くなっていく赤ちゃんたちにベラが強い感情を抱く理由を母性と言われてなくてよかった(別の作品の話だけど、『三体』の3部目にいまいち気持ちが乗れなかったのは、母性神話が強すぎたから……)。

小説で、元夫がおしりぺんぺん男爵(うろ覚えだけどパリの娼館でのあだ名)だ! とベラが気づくシーンが滑稽で好きだったから映画ではそうじゃなくなったのがすこしさみしかったけど、小説では「性」で彼にやり返したのに対して、映画では性への好奇心から知への好奇心への変化がより注目されてて「知(解剖学)」でやり返したんだなと思った。

衣装もよかった。ベラが足を出した衣装を着てるのが印象的だった。娼館での衣装も、露出してるのにまったく媚びておらず強さがあってとても素敵。

あとダンスもよかった。ベラのめちゃくちゃ無秩序ダンスをダンカンが制御しようとするところ。

ただもうひとりの脳移植された子は……あんまり必要だと思わなかったんだけど……(映画的に)なぜあの子をつくったんだろう。お手伝いのプラム夫人のため?(ところであの夫人はゴッドの母ではないよね。年齢的に。ただのお手伝いの人だよね。ゴッドの母の存在が無だったね)

あと小説だと娼館で性病の検査に来た医者に雑に扱われてショックを受けてると同時に医者に反抗的な言動をして稼いだ金を失うシーンがあったけど、そのへんはカットされててベラは自分で稼いだ金でロンドンに戻ってきてた。話がややこしくなるから変えたのかもしれないけどベラが医者になると思うのに必要な経験だった気もする。

避妊についてまったく映画では触れられてなかったのは残念。小説ではベラは避妊の知識ももっていたし医者になったあとは避妊の方法を女性たちに教えていたり中絶手術をすることになる。

小説はあくまで本当にあったことですが?って顔して註までつけててそこがおもしろかったけど、映画はその真逆で、映像が奇妙でスチームパンクっぽい世界観でいったいいつの時代なのかわからず、昔昔っぽい感じもするけどなぞのながーーーいロープウェイのような技術もある。リアルにしようとすると無理があるからめちゃくちゃフィクションにしてしまって(より奇妙なキメラ動物を登場させたり)、ベラの脳移植の実現性や細かいところに目を向けさせずに、話の中心(女性の性の解放や知の解放など)をしっかりやってた。このへんのバランス感覚がすごく好き。

音楽もいいんだよな。音楽って感情に効きすぎるから感動的なシーンで感動的な音楽を流す映画があまり好きではないんだけど、ランティモス監督の映画ってだいたい変な音がしてる。

じぶんがアロマンティック、パンセクシュアルだからかもしれないけど、ベラもそうじゃない??って思った。アロマンティックでパンセクシュアルじゃない?? まあ設定がどうだとしてもベラという人間がすごく好き。

お客さんに中年〜老夫婦っぽい人が多くて、となりの両親より年上のご夫婦(と思われるふたり)がほどよく笑ったり楽しそうに観てて、なんだかそれをプラスして良い時間を過ごしたなと思った。

@nkmrik
日記と思ったことと思ってないこと