暗さ

nakamura
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ボス・ドゥヴォス監督の『ゴースト・トロピック』と『Here』が心底すばらしくて、この映画の良さがわかるほどいままで生きてきてよかったと思った。

暗いシーンがほんとに暗くてそれがすごく良くて、それでわたしもそういう表現がしたくなって5年くらいまえに買ったミラーレスカメラを引っ張り出して写真を撮りはじめた。カメラの設定のことぜんぜんわかってないけど(ずっとオートでいい感じに撮れる設定で撮ってきた)いろいろ触ってじぶんの好みの暗さをうまく撮れるように四苦八苦してる。たのしい。いまは家の中をあちこち撮ってる。近所でカメラを構える勇気がなくて、雪が溶けたら散歩がてらちょっと遠くへ行って外も撮ろうかなと思う。

写真の撮影を記録のためのものではなく表現のためのものととらえたとき、短歌や詩をつくるのとちがうのは、すべてがじぶんの外側にあるということかなと思う。短歌も見たものを詠むこともあるけど詠むという行為はじぶんの頭のなかでことばを転がして捏ねて吟味する行為だから、完成した作品にたいしてはじぶんのなかから出てきたものだと感じる。でも写真はじぶんのなかから出てくるものはひとつもない、と思う、たぶん。まずじぶんの外の世界があって、それをどう切り取るかとかどういう設定で撮るかとかそういう部分にじぶんの表現がある。撮影も加工もじぶんの身体の外側で行われる。あ、でも、撮りたいものが先にあってそれを撮れたら、じぶんのなかにあるものを表現できたということになるのかな。考えてみると、ことばもじぶんの外側からやってきたものだ。なにがじぶんの内側でなにが外側なのかわからなくなってきた。こういうことを考えるのはたのしい。1年くらい続けてみたらちがうことを思うかもしれない。

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明け方の海ならどこでもきれいだろうピアスも入れたピルケース鳴る

@nkmrik
日記と思ったことと思ってないこと