小中学校の話

中村
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地元は田舎なので、私立小学校というものがない。

調べたところ県内にはあるようだが、そもそも殆どの親御さんは「私立小学校へ行かせる」という概念がないように思う。

有名大学附属で、小学校から入学すれば大学まで安心というわけでもなし(大学附属の小学校はあるがそれでも有名私大のような高偏差値ではない)、そもそも通うのに電車に乗らなければならない上、田舎なので駅までは車かバスなどの移動手段がほぼ必須という地域である。

それらの要素を鑑みても小学校受験させる!という気概のある親御さんはいなかった。

つまり小学校は「ここからここまでの地域はこの学校!」という形で地域別に分けられて通うことになっていた。中学校も同様だ。

中学受験をする生徒は、私の代は一人しかいなかった。つまりその一人以外全員持ち上がりで同じ面子のまま中学に上がる。

同じ年齢で大体同じ地域に住んでいる、というだけの共通点で集められた子どもが九年間を共にするという体験は今考えてみればなかなかに刺激的だった。

高校になると受験という工程が挟まるので、自ずと「ある程度の学力を持ち、素行等も同程度の評価を受けている人間」が集まる空間になる。例外はあるにしろ、大抵がそのような人間で構成されるため同じ地域の同じ年齢、という条件だけで集められた小中学校より多少偏りが出てしまう。

私の通っていた小中学校では、両親が出稼ぎに来ている外国人で日本語を話せず、子どもが通訳をしている家庭もあったし、

何らかの理由で施設に預けられ、そこで育てられていた子どもや、

現在ならキラキラネームと言われそうな子ども、

当時は言葉自体全く知られていなかったが今考えると明らかに発達面での障害がありそうだな…という子どもなど、本当に様々な人間がいた。後に私も発達障害と診断されるのでその辺りは他人事ではないが。

なので学力や素行、その他諸々の要因などで分けられない小中学校は今思い返してみるととても面白い場所だったと思う。

ランダム性に富んでいる。ピックアップ条件が年齢と居住地域だけなのだから。学年が百人に満たない程度だったのでそこまで人数の多い学校ではなかったが、それでも昨今の少子化から考えると多い方なのだろうか。

別に荒れているわけではなかったので窓ガラスが割られたりなどのイベントはなかったが、だからこそこうして面白かったと言えるのかもしれない。仮に荒れていて窓ガラスが割られるわ喧嘩はあるわトイレにあってはならないものが落ちているわの学校だったら私は恐らく登校拒否になっていた。陰キャはヤンキーに弱いので。

現在ほぼ引きこもりでインターネット上での人付き合いしかない私からすればあまりに刺激に富んだ環境である。

私は日々見た夢を友人に報告しているのだが、その際に「現在の自分の精神のまま学校に戻る」というシチュエーションが非常に多い。

小学校、中学校の同級生が出演することも多い。これは現在私がほぼ引きこもりで刺激のなさすぎる生活を送っている結果、夢ですら過去の刺激を引っ張り出さざるを得ないからではないかと思う。

それが何故悪夢になるのかはわからないが、それはそれでまあネタになるのでよしとしている。

余談ではあるが、今思い返すと、田舎で学校数が多いわけでもないため学校からかなり遠い地域に住んでいる子どももいた。というか多分子どもの足だと片道一時間弱とかかかってたんじゃないだろうか。

自転車通学は許可されていなかったので、毎日片道一時間弱を歩いていたと考えるとすごいものである。

幸い私は学校から徒歩十五分程度の家にいたが、彼ら彼女らは朝八時に学校へ着くために朝何時に出ていたのだろうと考えてしまう。出身小学校、中学校は今でも徒歩で通学させているのだろうか。

体力をつけるという意味では良いのだろうが、

家が学校のほぼ前にあり徒歩一分で登校出来る子どもと、家から一時間弱かけなければ登校できない子どもがいるのは不公平ではないかとも思ったが、

そもそも人間は環境、親、地域、身体的精神的な特性など生まれついた時点で不公平なのだった。

「学校教育を受けることが出来る」という公平さの前では距離の遠い近いなど瑣末な問題なのかもしれない。あと今はオンライン授業とかもあるし。

私の時代に導入されていたら色々私が破滅していたであろうことしか予測できないので、学生時代ここまでインターネットが普及していなくて、本当によかった。

@nkmryt
自由に書くチラシの裏です。