2020年 西日本原付旅 #3

この記事は下記記事の続きです。お先にこちらからどうぞ。

3日目の大きな目的は広島市観光でした。

というのも、実は広島市には今までちゃんと訪れたことがありませんでした。なので、3日目は時間をかけて広島市とその周辺を巡ろうと思ったのです。

まずは、寝泊まりした東広島・西条を朝早く出ると、下の地図のようなコースで呉に向かいました。(細かいコースはうろ覚えだが、広島大学の横は通り、国道で山の中を走った記憶がある)

朝8時に出発して、2時間半。呉に着く頃には10時台だというのに灼熱のような暑さだった。

呉といえば、大きな海上自衛隊の基地があることが有名だ。あえて、その近くを通ってから戦艦大和のミュージアムに行ったことを覚えている。自衛隊の近くには、水兵のような制服を着た人を見かけて軽く興奮した。

港湾にある大和ミュージアムを中心とした公園は、広々として気持ちいいものではあったが、たまらなく暑かった。暑さの記憶しかない。自販機で何本か飲み物をぐい呑みした気がする。

呉は、何年も前の戦争アニメ映画だが『この世界の片隅に』の舞台にもなっている。

その後は、国道31号を通って隣の広島市に向かった。海沿いの潮風吹く道で、暑さはおそらく幾分にマシになったとは思うが、それでも耐え難い暑さだったと思う。

こうして、正午ごろに広島市の中心街までたどり着いた。

まずは、広島カープの本拠地・MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島に行った。駐輪場がよくわからなかったので近所のコンビニ少しだけ停めさせてもらって、歩いてスタジアムまで行ってみた。広島カープのグッズ売り場に立ち寄り、写真だけ撮って帰ってきたと思う。

ちょうど昼時だったので、スタジアムの近くのお好み焼き屋に入った。まったく下調べせずに、GoogleMapで調べて一番近い店に入った。評価や人気を参考にすることもなく、常連以外は入りにくそうな店構えだったが、勇気を持って入ってみることにした。

スタジアムの近くだけあって、広島カープの選手であろうサインがたくさん並んでいた。急に入ってきた自分に対して店主から「どこから来たんですか」と聞かれたことを覚えている。そんな感じでコミュニケーションをとったことで、店内の撮影は快く承諾してくれた。こんな広島広島した地元店で広島のお好み焼きを食べられたわけだから、3日目の旅はその時点で大成功と言える。

昼食後は広島駅へと向かった。駅の付近に原付の駐輪場を見つけたので、そこに停めて歩きで広島市を観光することにした。時間的にはだいぶ余裕を持っていたためだ。2日目の夜に頑張ったのは、このためである。

広島駅からは、路面電車で移動することにした。

瀬戸内の街は、本当に路面電車が多い。しかし、やはりその中でも広島は一番大きな都会だ。八丁堀から紙屋町あたりまで来ると、路面電車が走っていることに違和感があるほどの賑わいだった。これが広島の風景なのかと車窓から目に焼き付けた。ちなみに、この2年後にまた同僚を訪ねて広島に来ることになる。流川あたりの繁華街を歩くのはその時のことだ。

路面電車を降りて、広島ドームを訪れた。

やはり、日本人として何か感じるものがある。何をするわけでもなく、黙祷だけ捧げてこの場を去った。

次に、広島城まで歩いて向かった。さすがにゆっくりしすぎたか、時間が気になってきたのでお城は近くに行くだけにとどめた。

暑さに体力を奪われながら、下図のようなコースを歩いたと思う。縮景園前という駅に着く頃には肩で息をするほど疲れていたように覚えている。

再び広島駅まで路面電車で帰ると、原付バイクをピックアップし、広島市観光を終えた。

どうやらこのときにアクションカメラは、電源すら入らずに完全に壊れてしまったようだ。(駅の近くのカメラ屋に訪れた気もするが、何もできずに諦めたと思う)

広島市からは再び国道2号をひたすらコースを辿った。広島の路面電車は国道2号に沿う形でかなり長い距離を並走していてよかった。ローカル線に並んでバイクに走るのは何故か興奮を覚えるのだ。

この日の最後のチェックポイントとして選んだのは、やはり日本三景の安芸の宮島。もう17時台だったので夕暮れだけでも見れたらという思いだった。

広島市の隣である廿日市市・宮島口に着くとフェリー乗り場があった。もう18時近くだったので、さすがに観光用のフェリーは終わってるだろうと諦めていたが、時刻表を見るとなんと22時台まで船があった。島に住んでいる人のためなのかもしれない。

思わず「ラッキー」と言いながら、フェリーに飛び乗った。写真を見てもらうと分かるが運賃も往復360円と安かった。

原付バイク旅だが、一瞬だけ船旅が挟まってテンションが上がっていた。まさか水路を使うことがあるとは。

初めて宮島に到着した。土産屋もあるようだったが、さすがに時間的にどこも開いていなかった。仕方がない。(開いてても何も買わなかっただろう)

宮島には鹿が放し飼いされている。奈良公園以外でこういうところがあるとは知らなかった。かわいい。

厳島神社に辿り着いた。初めての厳島神社だったが、イメージしていたものとは違った。水がまったくないのだ。潮の満ち引きの関係だろうか。次に訪れる際には水の上に建つ舞台を見てみたい。これは「旅の余白」である

そして、さらにこのときは厳島神社の海に立つあの有名な鳥居は工事中だった。これもまたいつしか荘厳な姿を見てみたい。これも旅の余白だ。

再び宮島口に船で戻る頃には19時過ぎ。日没が迫っていた。4日目に余裕を持って福岡にたどり着くためには、広島県は3日目のうちに突破したいと考えていた。ここからが地獄である。日は廿日市の隣の岩国に入ったあたりで沈んでしまった。以降は頭を空っぽにして国道2号を走り続けた。

上の地図ではわかりづらいが、この行程はヤバい。夜に原付で走る距離ではない。Twitterでは21時頃に山口県に突入したとなっている。

地獄の長さと言われる山口県である。ひたすらに山道を何時間も走っていた。防府に入る頃に、この街を本日の宿にしようと考えたが、たしか「ここで泊まると明日の行程が大変になる」と考えて、さらにその先の宇部に向かうことにした。

上記のTwitterの地図では近いように見えるが、22時半から原付で向かうような距離ではない。とにかく、ここからも頭を空っぽにして山道を走った(おそらく、山の中だったはずだ。明かりが何一つもなかったことを覚えている)。晩御飯も何を食べたかを覚えていない。

山道から宇部の街の明かりが見えた時は「ま、街だ・・・」と感動したのを覚えている。おそらく宇部はそれほど大きな街ではない。それでも感動するくらいに真っ暗な道を何時間も走り続けていたのだ。

これにより、福岡が4日目の射程距離に入ることとなった。50cc原付で大阪からここまで走りぬけたことに高揚したツイートがこれだ。

いつもの快活クラブで宿を確保し、3日目を終了。

いよいよ、九州上陸を目指す4日目へつづく。