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原付で福岡に行くという目標を達成して得た感想はこちら。
新幹線なら3時間以内、飛行機なら1時間をかける旅程。丸4日かけて走りきれば感慨深いものだ。そして旅は大阪への帰路に切り替わる。
朝8時前から博多のホテルから出発したが、ここからは再び小倉・門司方面に向かって国道3号線をひたすらに走って行く。福岡市と北九州市の間は新幹線一駅分。新幹線であれば15分くらいで駆け抜けるであろう博多〜関門海峡間であるが、地図を見ていては想像できないほどに実際はなかなかの距離がある。
国道3号線は走りやすいが景色は退屈。心を無にして走り続けること約3時間半、門司の人道トンネルに1日ぶりに辿り着く(#4を参照)。トンネルを昨日同様に息を切らしながらバイクを押して歩いて帰っていった。
本州に帰ってきたとはいえ、まだ山口県の西端の下関である。帰路はまだまだ果てしない。ここからさらに1時間ほど走り、3日目の宿泊地である宇部の近くに差しかかった。すでに正午を超えて昼過ぎである。
ここから往路とは違う道程を進むことになる。詳しい道順は覚えていないが、おそらく国道490号線を使って山口県の真ん中を北上して行ったはずだ。目指すはこの日のメインとなる日本最大級のカルスト台地である「秋吉台」である。
途中で綺麗な池を見つけて写真を撮ったが、曇天のせいであまり綺麗には撮れなかった。
秋吉台までの道中のことはあまり覚えていない。多分ひたすら山の中を走るだけだったと思う。
1時間以上の走行の末に秋吉台の入り口となる「秋芳洞」の前に辿り着いた。ここで名物と書かれていた「かっぱ蕎麦」を昼食に食べた。田舎というのは昼時を逃すと店が閉まっている可能性が高い。15時近くだというのに店が開いていてよかった。
秋芳洞は特別天然記念物である鍾乳洞である。先ほどのツイートでも書いているように、鍾乳洞内を観光すると1時間ほどかかると言われた。日没までの残り時間を考えるとスキップするという判断にしたのだが、入り口で迷って迷って迷いあげた挙句、チケットを買って中に入ることにした。
順路を進むと、鍾乳洞を作りあげたであろう水流によって霧がかっていた。山の中ということもあり、このミストたちによって往路の時の茹だるような暑さは影をひそめ、めっきり涼しくなっていた。その代わりに湿度が高く、ずっと髪の毛が濡れている感覚がしていた。
中に入るとドラクエのダンジョンのような景色だった。鍾乳洞に入る経験はあまりしてこなかったため、非日常感がすごくあったことを覚えている。
急ぎ足で進んだので結局のところ1時間もかからなかったが、さすがに30分は切れなかった。秋芳洞の入口は南側だが、出口は北側にある。この出口で最悪の事態が起きた。
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雨雲レーダーで確認すると、周りは真っ赤。雷警報も発令されていた。山の中の豪雨はあまりにも怖い。おそらく頭上に雷雲が来ている状態だったのだろう。空が光ると同時に強い雷鳴が鳴り響いていた。滝のような雨が降り注ぐ鍾乳洞の出口には人ひとりいなかった。バイクは入口側のご飯を食べた店に置いてあるので、身動きが取れない。いや、動いてはいけないんだと思う。
とりあえず、電話でタクシーを呼んだ。出口にタクシーの案内があったのだ。
豪雨の中、ワイパーをフルに動かしながらタクシーが来てくれた。申し訳ない話である。鍾乳洞の出口は入口と比べてかなり高台に存在している。そこからタクシーで駆け降りて、件の店へと向かった。
山特有の急な天候の変化である。まさかこんなに降ると思っていなかったため、グローブやヘルメットは野晒しで置きっぱなしにしていたのだが、なんと店の人が親切にもそれを退避してくれていた。ありがたい。
時間も急がなければ今日の最終目的地に辿りつけないと判断し、雷自体は少し遠くなったようだったが、雨がまだまだ降っている中で再び原付を出発させた。
秋吉台カルストが始まるぞという場所まで辿りついた時、とある小径のトンネルで雨宿りをした。ふたたび雷が近づいてきているのを察知したからだ。荷物などはビニール袋で防御しているが、着ている服はすでにレインコートを着ていてもドボドボである。
本来であれば下図のように、美しい道をバイクで走る気持ちのいい道だ。おそらくバイク乗りなら一度は走ってみたい道だと思う。
しかし、こんな広々とした台地の中の道を雷が来ている中で走るのは自殺行為だ。「せっかくここまで来たのに…」と唇を噛み切りそうになったが、だからといって強行突破は本当にやめておいた方がいいと判断。涙を飲んで別の道を走って行くことにした。
雨でのスリップも怖いし、上で鳴ってる雷の音も怖い。そんな中、迂回路である国道490号線を使って日本海側の山口県・萩を目指した。この国道を走ってる間は雨足が弱まることがなく、ひたすら心を無にし、前だけに集中をして運転した。過酷だった。
上記のツイート連投を見るに、2時間近く雷雨の中を走っていたと思われる。多分泣いてたんじゃないかな。
萩市の市街地が見えてきた頃、途端に大雨が止んだ。そして、いわゆる観光地である城下町跡・武家屋敷群の近くまで辿り着いた。それが何であったかは忘れたが、川(もしくはお堀)の近くのあばら屋のようなところ(バス停だったかもしれない)にバイクを止め、着ていたレインコートを脱いだ記憶がある。時刻は6時半過ぎ。本当は雨さえなければ明るいうちに萩を観光したかったが、雨宿りでかなりの時間を食ってしまい、日が長い夏とはいえ日没が近づいて暗くなりかけていた。なんとか申し訳程度に武家屋敷の近くを歩き、写真に収めた。
萩には、萩城であったり、吉田松陰ゆかりの松陰神社などがあるが、そんなところに向かうような時間的な余裕はなく、萩を後にすることとなった。(ちなみに、2年半後に両親と山口旅行をした時にこれらは達成された)
萩の市街地を出た頃、ちょうど日没を迎えた。日本海沿いを走る国道191号線を辿って島根県の益田に到着するのがこの日の最終目標だ。おそらくは暗くなってから原付で目指すような距離ではない。しかしながら、進むしかない。ここは山陰地方の西の方だ。途中で疲れても泊まるところがないのだ。
日本海沿いの国道は、日中に走ると素晴らしい景色なんだと思う。しかし、日没してから走ると何のことか全くわからない。北東方面に向かって左側には常に日本海があるはずなのだが、時にそれが海なのか山なのか判別できないくらいに明かりが少なく、自分の左側がただずっと暗く、怖い道だったことを覚えている。
大雨こそ萩で止んでくれたのだが、益田までの道なりは霧のような雨がずっと降っていた。レインコートを着込むほどのものではないのだが、顔が水で常に濡れていた。それがだんだん体力を奪って行くのだ。
益田に着いた時刻は正直覚えていない。日付は跨ぐほどではなかったと思う。ツイートを見返したが、到着した時のログは残していなかったようだ。
これまでの流れでいうと、寝床のための快活クラブを探すところなのだが、山陰地方には店舗がそもそもない。山陰地方を舐めてはいけない。スタバやマクドナルドが進出してくるだけで大騒ぎになる地域なのだから。
そこで、益田駅の近く(だったと思う)のホテルを取った。金額は安めに抑えての宿探しだったが、どんなホテルかと思ったら、昭和に建てられたような建物で、部屋は個室ではなかった。「個室ではなかった」という言い方は適当でないかもしれない。何か簡易的なもので広い部屋を間仕切られているような作りの部屋だった。このあたりは上手く説明できているかどうかわからない。およそ4年前の記憶を思い出しながら書いている。カプセルホテルよりは広いが、ビジネスホテルのような部屋でもないという不思議なものだったはずだ。たしか風呂も共同のような形式だった気がする。
ちなみにの話だが、この日は平日であり、会社では四半期に一度の全社会議が行われている日だった。しかし、このときはちょうどコロナ禍。全員在宅勤務となっており、全社会議の打ち上げは当時流行っていた「リモート飲み会 (リモ飲み)」形式で行われていた。寝る準備を整えたころにはまだリモ飲みをやっている様子だったので、持参していたPCを開いて参加してみた。リモ飲みの終盤になって休暇を取ってる奴が急に乱入したというわけだが、「休みを使い西日本を原付で回っていて、今は島根県にいる」と言ったら驚いてもらえた。
こうして博多から始まり、ハードな1日を過ごして島根県にたどりついた5日目は終わった。夕食は何を食べたのか全く覚えていない。
6日目へ続く。