急速に乱れている【ことば】
それはきっと、ブログやSNSが発達したことによって、プロのチェックが入らないまま投稿する素人が増えたことで、「こういうものなんだろう」「別にこれでも通じるんじゃね」という「なんとなく」発信する人が加速度的に増加したからだと思っている。
思い出せるだけでも
違くて、違うくて(違って)、違かった(違った)
なんかった(何かあった)
無理があるくない?(無理がない?)
だいじょばない(大丈夫ではない)
などなどがある。
「違くて」に関しては昔から方言で使われているとのことだけども、現時点の漢字変換で出てこないということは、やはりマイナーな使われ方であり、標準語ではないことは確かなのだろう。
そんなこと言ったら、古語はどうなる?
という人が、必ずいる。
「すみません」は「すいません」になったし、「いとをかし」なんて言葉は今は使わないのだし、言葉は移り変わるものだと。
ただ、それとこれとは違う感じがするのだ。
「すみません」が「すいません」に変化したのは単純に「言いやすいから」だと思われるが、「違うくて」「だいじょばない」などは、今まで存在しなかった言葉を「その場の自分の感性だけで勝手に作った」という感じがする。
ネット社会だからこそ
昔は手紙だったりでやり取りをしていたが、ネットが広まったことで誤りが広まるのも早すぎるのだ。だからこそ、意味が分からない人が出てくる。しかし厄介なのはオリジナル造語を使い始めた人たちのモラルが低いために
「え、別にこれでも意味分かるくない?」
などと反論し、相手が分かろうと分かるまいと、普段自分たちの使っている言葉でコミュニケーションを図ろうとすることだ。
そうなると、人間はラクな方向に流れる生き物なので、きちんとした美しい日本語を守ろうとしている人たちを【堅苦しい存在】として扱って行ってしまうことになる。
それは、何としても避けないといけないと感じる。日本人の文化はしっかりと継承していきたいと考えているから。
日本語ネイティブとしての言語の扱い方
日本語は「る」が語尾に付くと動詞、「い」が語尾に付くと形容詞として認識するという文法があるので「パクる」「サボる」「エモい」などの言葉もどんどん生まれている。
これは私が英語を学んでいて気づいたことでもあるが、英語は「てにをは」という「助詞」がない代わりに、配置で品詞を認識する。
loveという単語を「愛(名詞)」と捉えたり「~を愛する(動詞)」と捉えたりするのは、配置される場所が違うからである。
まとめ
ことばは移り変わるもの。
それは分かってはいても、その壊れるスピードが早すぎる。これにはどうにも日本人の品性が落ちて行っているのだと感じる。
ちゃんとTPOをわきまえて使ってくれるのなら良いのだけど、ほぼ毎日新しい日本語をみるたびに、がっかりするのでした。
同じ想いでいてくれる人と、お友達になりたい。