19歳の時、初めて参列した葬式で、母親が泣くところを初めて見た。マイちゃんのお母さんの葬式だった。
マイちゃんはお父さんが警察官で剣道をやってて、その影響で家族全員で剣道をやっている狂気の剣道一家だった。ちっちゃいお母さんがエルグランドみたいなでっかい車を乗り回して、道場や部活(マイちゃんは部長だった)の大会や遠征の時はみんなを連れて行ってくれた。週3回の稽古も休むことなく参加して、更にPTAとかもやってた。とにかくスーパーお母さんだった。若くて、眉毛が細くて、なんか元ヤンっぽい雑な強さが好きだった。
県大会の朝、おばさんがくれたおにぎりがまだ暖かくて、しかも焼いた鮭がごろんって入ってた。すごくない?うちは常に鮭フレークだったので大興奮で母に話したけど、その後もうちのおにぎりはずっと鮭フレークだった。
通夜はド平日。結構早く着いたはずなのに中はすでにミチミチだった。市内の剣道関係者、警察の人たち、マイちゃんと弟のそれぞれの学校の友達。人が多すぎて焼香は一回で!って係の人が言ってた。
弔辞は剣道の先生だった。三ヶ月前に膵臓癌だとわかったこと、診断が出た時点でもう手を施せなかったこと、痛くて眠れないと夜中に泣きながら電話してきたこと(先生は薬剤師だった)。最期は緩和ケアで穏やかな顔で逝けて良かったと思う、忙しなく生き急ぎすぎたから、天国でゆっくりしてほしい。とかそんな話。
びっくりした。鬼のように強くて怖い先生がぐずぐずに泣いてた。次の友人代表のおばちゃん(これも剣道の人)は最初から泣いたし、自分含めて、老若男女すごい人数の参列者が、みんな泣いていた。祭壇の隣にいるマイちゃんと弟だけが泣かずに胸を張って弔辞を聴いてるのを見て(おじさんは溶けるくらい泣いてた)私はまたダバダバに泣いた。
まだ外に焼香待ちの人がいるんで…と言われ、明日また、と先生たちに挨拶してそそくさと退出した帰り道、母はずっと鼻を啜っていて、え、この人も泣くんだ…ってかなりびっくりした。親が泣くところ、マジで見たことなかったから。
母は自分の趣味兼仕事が最優先の人で、我々の剣道についてはあまり関わりを持たなかった。だから、送迎とかイベント関係も任せっぱなしで申し訳ないって彼女に言ったら、「私は暇だし好きでやってんだから気にしないで!お互い好きなことしよう!」って言ってくれて、コンサートにもいつも来てくれた。それがずっと嬉しかった、私が音楽やれてるのは彼女のおかげだった。本当に感謝してる。そんなことを駅から家まで歩く10分間で、ポツポツと話していた。
私の母は結構な人格破綻者なので、この人に涙を流させるマイちゃんのお母さんは本当にすげぇなって思ったし、今書いてても素晴らしい人だなと思う。マイちゃんのお母さんがお休みされた歳にそろそろ追いつきそうなんだけど、例えあと10歳若くてもあんなにエネルギッシュに子供に関われそうにない。
ってことを、トレンドの膵臓がんというワードを見て思い出した。沈黙の臓器って言葉もそれで覚えた。がん検診いかなきゃな。