90年代にNHKで放送していた海外ドラマ『アボンリーへの道』が大好きで、時々思い出す。舞台は『赤毛のアン』と同じカナダ・プリンスエドワード島のアボンリーという村で、登場人物も一部重なっていたりしてさながら『赤毛のアン』のスピンオフといった感じのドラマだった。
主役は若い世代の女の子なのだが、見た人全員の記憶に残るのはなんといってもヘティおばさんだ。とっくに中年を迎えた未婚女性で村の学校で教員をしており、身寄りのなくなった主人公を引き取って育てる。偏屈で頑固な性格で「フンッ」と鼻を鳴らすのが癖。たいてい村の誰かとケンカしたりぶつかったりしているが、同時に情にもろくて善人なのだとわかるエピソードがたくさんある。
多分、ヘティおばさんを演じていた俳優は当時50歳を超えていたのだが、そんなヘティおばさんに、劇中で初めて恋人ができるエピソードがとても印象に残っている。当時小学生だった私は割とすんなり中年女性の初恋エピソードを受け入れたのだが、一つ疑問に思ったのは、なぜヘティおばさんは今の今まで恋愛をしてこなかったのか?ということだった。一緒に観ていた母にそのことを聞いたら、すぐに「若いころはきょうだいの面倒を見ていたから自分の時間が持てなかったせいだ」という趣旨の回答が返ってきた。
その回答は、多分物語上の知識として知っていたのではなく、母自身が自分の育ってきた環境の実感の中から出てきたものだったと思う。実際母は『アボンリーへの道』を毎回見ていたわけではなかったし。それでもヘティおばさんの初恋に関して即座に彼女のこれまでの生活様式を当てることができたのは、おそらく母自身も、自分の自由な時間がたっぷりある子供時代ではなく、家庭の中のケア労働を小さいころからやってきたか、あるいはそのような人が周りに当たり前にいたからなのだろう。
夕方に何もせずのんびりテレビを見られる子ども時代というのが当たり前ではないということを私は知らなかった。今でもあのドラマと一緒に子ども時代を奪われた人たちのことを考えることがある。
同時にアボンリーへの道では、成人女性が集まって日がな一日キルトを縫ったりお菓子を作って品評会をしたりするシーンがたくさんある。1900年代初頭で、資本主義が浸透しきっている現在とは違って賃労働が必須ではない時代のことをうらやましく思ったりもする。