世の中にはだいたい反対のものがある。
「上」だったら「下」、「電気をつける」だったら「電気を消す」みたいな感じで世の中はプラマイ0にできる。
この例から分かるように、概念の反対であれば優劣みたいなのはないみたい。
でも、「善い」「悪い」みたいな言葉は優劣があるし、なんならこれ自体がそういう意味。
これっていうのは、モノを限定する言葉なので優劣がつくのかな。
じゃあ、その限定って一体何から来るんだろって考えたらモノの見方なのかなって結論になった。わかりやすいもので言うと、「主観」「客観」である。
主観とは、自分から観た自分。
客観とは、他人から観た自分。
よく、客観を大切にしろなんて言われる。それは現代においての社会思想、例えば「資本主義」で生きていくには客観>主観になりがちだからである。
理由としては、個人の自由でモノの売買ができると人々は選択肢が無限になる。そんな世界で自分だけが欲しいモノを売買してもなかなか売れないからである。やはり、大多数人が欲しがるモノを理解する=自分の売買しているモノを客観視する、が大切なんだと思う。
これは日常でも言える。
情報で溢れかえっており、自由恋愛主義、いわば個人主義の時代では他人を理解することが大切である。それは、人という生き物はお互いが支え合って生きていく全体の生き物だからである。
これらの事柄から、やはり客観を大切にしろという言葉は現時点に置いては概ね間違っていない。
だが、こんな時代だからこそ自分の価値を生み出すのは主観だと思う。客観を強める教育を受け、右に倣えをしていては価値なんて生まれない。だから、たまには周りを気にせずに左に倣ってみるのもいいと思う。
望永ちゃんは、現代では珍しく頭が良いにも関わらずかなり主観が強い子だ。
たまに、すごい偏見を持ってたりもする。
それは、世間的には良くないとされていたりするけれど、俺はそういうところがすごく好きなんだなって最近思った。
俺の持ってる感性と違う意見を聞くと、どんどん視野が広がっていって新しい世界が見えてくるから。
たぶん、望永ちゃんみたいな人がいなかったらアンパンマンに出てくるバイキンマンは一生悪者扱いされる世の中になるんだろうなーって思った。