文字や声に出すのは不自由。でも、だからこその、優しい世界。
わかっていても、たまに吐き出したくなるのよね。誰にも見られない場所で吐き出せば問題ないとわかっていても、「そうだよね、大変だよね。わかるよ」と頷いて欲しくて、人の目があるところで言ってしまう。
まだまだ修行が足りないな。
私は一人で生きる、孤独な世界には興味がない。寂しいし、つまらない。寄る辺のない人生は私を焦らせるし、不安にする。今、安定して生きていられるのは、手を伸ばせば握ってくれる友達がいるから。夫もいるけれど、彼はなにか違うので、手を伸ばしたいとは思えない。
結婚したら「結婚してもいいなあ」と思った人は消えてしまった。ねえ、擬態してもいいよ。でもその擬態は死ぬまで続けて欲しかった。「あなた誰よ?」と思うこちらの身にもなって。同じ顔の別人と暮らしている気分。おかげでカサンドラになるかと思ったわよ。
だから、夫との愛ある関わりは全く期待できない。ここぞというときにフリーズしたり、背を向けられそうなので、人数に含めていたらこっちが痛い目にあいそう。日常生活でもそうなのだから、信じるより諦めた方が傷は浅くて済む。
とはいえ、私も付き合った男には餌をあげず、さんざん泣かれたクチ。だってでかい図体でめそめそされても可愛くないんだもの。年上ならなおさら。背を丸めて、この世の不幸を全部背負ったような人を、私は残念ながら愛せない。
仕事が楽しいって言っていた恋人はもういない。最初からそんな人いなければよかったのに。嘘をつかれたようなこの状況が、私にとって一番許せないことなんだろうな。
数年経って、夫とは破れ鍋に綴じ蓋なのかなと思うようになった。お互い様ってことよ。お互い期待しないって楽。ただ、なんだろうね。嫌われてもいーや、なんて自由に生きられるけれど、これでいいのかなあ?とも思う。
あとね、夫のような人が近くにいると、だんだん反骨精神が芽生えて、「あなたが死にそうな顔をして私のテンションを下げようとしても無駄。私は私で幸せになってやるんだから!」と燃えてくる。あなたのために不幸にはなってやらない、そんな強い気持ちになる。そう考えれば彼の存在もそう悪いだけのものではないのかも。たぶんね。
話は戻して。
美術館や映画など、興味の強い場所には一人で行っても楽しめるけれど、テーマパークに一人で行っても虚しい。好きが極まって「そこにあるもの」を楽しめれば別なんだろうな。私にとっての絵や映像みたいに。そこまで極められてないので、テーマパークでは「楽しいね、面白いね」と楽しみを分かち合いたい。そうすることが私の幸せなの。
幸せの形はいろいろなので、合わない人はバイバイでいいのだ。友達も家族だってそう。合わなくて嫌な気分にさせられるのなら、なおさらよ。
自分の幸せが他の人の不幸せになるのなら、離れたほうがいい。長い目で見れば共倒れするしね。それでもいい、ロミオとジュリエットになりたいと言うのなら、それはそれで素敵だと思う。
愛に生き、愛に死ぬ。とってもロマンね。
私は共倒れなんざまっぴらごめんなので、時が来たら旅に出るわ。止めないでね、あなた。