察しろと言わないで

noch
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その反語は『察してもらおうとするな』であり、困っていそうに見えても手を出すな、なんですよね。

それなのに、困っていそうな人がいたら手を差し伸べようだなんて、おかしなことを言い出すから混乱する。しかも困っていたら自分から声を出す訓練をしないと、いつまで経っても変われないじゃない。全人類共通で。

どこに行っても困る人こそ、ハンディがあると自覚して生きる必要があると思うのだけれどどうだろう?永遠に困り続けるんじゃない?周囲は自分のことで手一杯で、昔ほど家族のサポートがあるわけでもない。自力で歩いていかなきゃいけない人生だからこそ、たとえば視力が低い人が眼鏡を使うように、片足がない人が義足を使うように、自分の不足を自覚して補っていかなくちゃいけないんだと思う。

けれど、指摘するとハラスメントになるので「あいつはどこに行っても困るだろうな」と気づかれながらも本人だけは気づかないまま、死ぬまで生きづらそうにしているんだろうな。仕方ないよね、察してもなかったかとにするのが良い世の中だから。むしろ察する力がない人たちに合わせた結果がコレだから、あるべきカタチともいえる。気づくほうがイレギュラー。

つまりグレーゾーンの考え方を基準に生きれば良いってこと。(グレーゾーンは周囲のイレギュラーにも気づかないから)見捨ててないよ、見えない、気づかないだけだよ。

逆に困り感ある人の困り度を強めている気がしないでもないけれど、この人たちはこの人たちで〇〇のようにやれ!と圧力をかけられてきただろうからなあ。そういう圧力から解放されたのは良かったんじゃない?

ま、あれこれ考えても私のことではないし、他人の課題には口を出さないのが前提だから、まーーうまくやってくれ。

それを見ているとストレスだから視界に入れないように私も頑張るよ。

@nochika
傷つけるつもりはないけれど、傷つけてしまうおそれがある私の気持ち。誰かを否定しない。けれども、受け入れられないこともある。そんな気持ちをつづる場所