言葉によりいっそう気を遣う。自分の中にある「優しい言葉」をよりマイルドにするひと手間がいる。その作業をしているうちに疲れ、面倒で、関係を投げ出したくなる。
私が弱い立場でさよならされる場合もある。それは相手からの優しさだと思って受け止めるほかない。
今の自分も好きなので、自分より傷つきやすい人のために自らの言動を改める気持ちは一切ない。なぜなら傷つきにくい人たちの中にいれば、そんな気遣いは不要なのだ。
虎が羊の中にいるのは窮屈だけれど、狼やライオンとならのびのびと暮らせる。それに似ている。やはり毎日を生きるのなら、似たような強度の人たちがいい。
もしも龍と共にありたいと望むなら、向こうに強さを下げてもらう必要があるかもしれない。でも、それ以上に、こちらの強度を上げていきたいよ。共にありたいとこちらが望んだのなら尚更ね。
そうでないのなら、異なる強度の人とはたまに顔を合わせるくらいがちょうどいい。弱すぎ、あるいは強すぎどちらとも。毎日会うと、あちらも辛いだろう。と、勝手に思っている。優しく気遣うフリをしながらも、本音を言うとこちらが辛いので、うまく遠ざけたいのであった。