生まれてこのかたずっと一重だった。両親は共に二重だし、母は成長途中で一重から二重になったと聞いていたから、いつかは私も二重になるのかもと思っていたものの、結局ずっと一重のまま。一重はアイシャドウが全然映えないんよね~と思いながらも、けっこう自分の目は気に入っていた。アイプチもしたことはない。
ところが先週くらいから突然片目だけ二重になった。今までも寝不足の時なんかは二重になることがあったからまたそれかなあと思っていたら、どうやら恒常的なやつらしい。一向に一重に戻る気配がない。前触れもなく起きたら突然、という感じだったから、驚きつつもちょっと嬉しい。なんだかんだで実は憧れていたのかもしれない。
二重、なってみて初めて知ったけど、お化粧がもっと楽しくなるんだね。アイシャドウの色が見える、すごい、と化粧の度に感動している。片目は一重のままだから目のサイズ差(と一重の目つきの悪さ)もよくわかって、え~すごい、とアリの行列を見る三歳児のような顔で鏡を見ている。人体おもしろいな。
両方とも二重だったらもっと楽しいんだろうな~と思いつつ、やっぱりアイプチをする気はない。私はこれで良いのです。
昔アメリカに滞在したときにカルチャーショックだったことがたくさんあって、向こうの人って他人のことをすごくストレートに褒めるんだよね。あなたの服が好き、あなたの笑顔が好き、あなたの笑い声が好き、あなたは美しい。全部実際に言われた言葉だ。日本ではあまりそういうことは言われないから、戸惑いつつもすごく嬉しかった。それに服や靴が、どんなサイズでもある。私は足のサイズが大きくて、中学生くらいの頃は全然履ける靴が見つからなかったから靴屋がすごく苦手だったんだけど(今はすごく増えたね、ありがたい)、アメリカには普通にあった。日本では諦めていた可愛い靴もあった。アメリカでそういう経験をたくさん積ませてもらって、私はこのままでいいんだと思えるようになった。あの経験はけっこう大きかったなあと思う。
あと子どもの頃から鼻がずっとコンプレックスだったんだけど(「丸い」と母によく揶揄われたから気にしていた)、大学時代、夏焼雅ちゃんにそっくりのド美人な友人に「ノエちゃんの鼻が一番理想の形なんだよね、いいなあ」とにこにこ言われたことがあって、あれも私の中でひとつの大きな柱になっている。どれだけコンプレックスに感じているものでも、それが一番いいと言ってくれる人がいるというのは、救い以外の何物でもなかった。この言葉を一生忘れたくなくてお話の中で使わせてもらったくらい、私の中では大きな出来事だった。(ゆみちゃんあの時はありがとう)
街ですれ違う女の子たちはみんな小さくて細くてかわいくて、なんか骨格からして違うから、私もああいう子だったらよかったのになあと思わなくもないけど、でもそうなったらそれはもう私じゃないんだよね。丸い鼻だって、大好きな父からもらったものだから変えたいとは思わない。ちょっと気になるところもあるけど私はこのままの私でいいんだと思えるのは、今までいろんな人に肯定的な言葉をたくさんかけてもらったからだと思う。ありがたい人生だなあと、鏡でアンバランスな両目を見ながら思い返していた。