悲しくなる時

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誰かとの関わりの中で悲しくなる時って、侮られていると感じる時なのかもしれない。自分のことを尊重してもらえなかったというか、敬意があまり感じられないというか。言語化すると我ながら何様だろうと思うんだけど、相手への最低限の敬意のことを言っている。

私の大事なものを、相手に大事にしてもらえなかったと感じて傷ついた経験がある。

私はどうやら言葉に対するこだわりが強いようで、文章を書く時、てにをは、空白、空行の位置やタイミングすらものすごく時間をかけて考えてしまう。たった一文字を、消したり足したりまた消したり、そうやって私なりに大事に大事に育てたものを、奪われ、少し形を変えられ、あたかも自分が作り出したものであるかのように発信されたことがあった。依頼されていろいろ調べながらようやく書き上げたものを、依頼主の好みに合うような文章形態に無断で改変されそうになったこともあった。

どちらもきっと本人に悪気はなかった。と思いたい。でも悪気がないからこそショックだった。相手も創作者のはずなのに、私の創作物に対する敬意はないのだろうかと。自分が同じことをされたらどう思うんだろう。それとも相手が私だからいいのだろうか。私の過剰反応だったのかもしれない。

話は変わるけど、先日、徳美がランダム購入特典として刀剣実写の商品を入れてきたことで、自分でも思ってもみなかったほどのショックを受けた。昔はランダムを一切しなかった徳美がランダムを取り入れた時もけっこうもやもやしたんだけど、まだ概念グッズだったからもやもやで済んでいた。でも今回、刀剣実写をランダムにされて、私の大好きな刀本体を、あろうことか所蔵元に餌のように扱われたことがすごく悲しかった。所蔵元だからってなんでもしていいわけじゃなくない…?

足利での山姥切国広の展示の時、所有者の方が刀の画像をグッズ化するのを禁じていたことにすごく感銘を受けて、「大事にする」というのはこういう形もあるんだと知った。徳美にもそういう姿勢であってほしかったんだと思う。私が勝手に理想を押し付けていただけだけど。

美術館運営にも美術品の維持にもお金が必要だし、私たちは消費者でしかないから、私は何も言える立場にはない。むしろ所蔵元と好きな刀剣の存続を願うなら、そのグッズにお金を出すべきなんだろうとも思う。でも刀剣実写をランダム購入特典にするというのはあまりにも…消費者だけじゃなくて、刀本体や刀を現代まで受け継いできた人たちのことまでも侮っていないか? 今回私は、それが悲しかったんだと思う。「なんとなくいやだ」の世界で、上手く言えないんだけど。結局今も「なんかいやだ」という気持ちが続いていて、4年かかさず更新し続けてきたメンバーズクラブもこの春は更新しなかった。

自分の大事なものをぐちゃぐちゃにされるのはつらい。めった刺しにされるような痛みを伴う。あるいは宝物を奪い取られて目の前で壊されるような。私がもうちょっと器の大きな人であったなら受け流せたのかも。みんなは平気なのかな。やっぱり私の過剰反応なのかもね。もうわからないや。


点々で区切ろうとしたらこんな線が出てきてびっくりした。

この記事はけっこう前に書いてたものなんだけど、なんかもうなんでもいいや~って心境になったので放流した。もうなんでもいいです。全部終わったことだからね。

逆に、作品を大事に受け取ってくださる方には本当に感謝してる。いつもありがとうございます。これからは自分と、自分を大事にしてくれる人の方だけ向いて生きていくことにする。その他の方はごめん、私の知らない場所で幸せになってね。