https://sizu.me/noi7025/posts/1r220tfw857v
これの後、2021年8月に書いたものをほぼそのまま移動。
「今日も、そんな声がどこからか聞こえます」
"エヴァンゲリオン、碇シンジが元から優しい話であり自分にも他者にも優しくできるようになった話ではあるけど、碇シンジが優しい性格に変わる話ではないからね。"
"だから俺は普通に碇シンジが羨ましいし憎いよ"
(2021年8月17日の私(@noi7025)のツイート)
アニメや漫画の『主人公』に憧れて、決め台詞を叫んで駆け回ることが許される時代なんてとっくの昔に終わってしまった。
その憧れたちはその内に「子供の遊び」とか「ちょっと恥ずかしい思い出」とかそんな言葉に置き換えられるようになった。
成長って、変化って、大人になるって何なんでしょうか。
寂しくても前に進めるようになることでしょうか、どうしようもない現実に押し潰されるものを見てみぬふりできるようになることでしょうか。
フィクションの人間に必死になって馬鹿みたい。
なんちゃって。
閑話休題。
エヴァンゲリオンの主人公の碇シンジが、この3月に3度目の答えに辿り着いた。とは言っても私はその歩みをずっと見ていたわけじゃないけど。
私が、毎週金曜の夜にやっている番組で数年前にもうエヴァに触れていたにも関わらずそれ以上踏み出さなかったのは本能的に「これに深く触れてはいけない」と思ったからだった。でも最終作は映画館で観られるはずだから、きっと、きっと観に行こう、とも思った。
結局、私はその最終作の映画を10回以上観に行った。私にとってその数字が大きい意味を持つわけじゃないけど。
彼の強い眼差しと、大きな画面で何度も何度も目を合わせた。それでも私は、彼の視線に応えられている自信がない。
碇シンジのことが羨ましかった。
それはきっとこの映画での活躍だけじゃなくて。世界を救ったのに自信がない彼にも、逃げようとしながらも逃げられない彼にも、恐らく私は憧れている。
"可哀想"な碇シンジにも、"みんなに愛される"碇シンジにも、きっと。
それと同時に憎かった。私は彼にはなれないということはよくわかっていたから。碇シンジは望んで碇シンジになったわけじゃない。
自分のことを慰めるための道具になんてしたくなかった。この映画を現実逃避になんてしたくなかった。彼らの優しさも厳しさも、全部全部飲み込んで、私は生きていきたいのだ。「現実だってそんなに悪くないもんだよ」それは虚構を愛することと、矛盾しないよ。いや、たとえ矛盾していてもそれが許されないわけじゃない。でも、どこかで「そんなのただの現実逃避じゃん」と言っている自分が居る。
「なんでお前だけ。そんなに都合の良いことがあってたまるか」
とずっと思っていた。碇シンジがエヴァに乗ること、降りること、また乗って、降りて、そしてまた乗ることを。
でも彼はそれでも「乗せてください」と言った。逃げずに、ただ目を見つめて。向けられた銃口から、視線から、決して目を逸らさなかった。
私も、彼に銃口を向けたい。「なんでお前だけ」と泣き叫びながら。今も、「でもたぶんそんなことできないな」とどこかで思っている。
電車から降りて、駅のホームで「私も、もう大丈夫だよ!」と言える人になりたい。彼はもう駅のホームには居ないし、どこに行ったのかも知らないし、特に知りたいわけじゃなかった。むしろ私の知らないところに、自分の足で走っていったこと私にとってはありがたいくらいだった。
私はまだ言えない。私はまだ、あの夕焼けから変わらない電車の中で君の形をした幻と君の鏡のような彼の幻に未だに責め立てられているし、半自動扉と書かれたドアを開けられない。私の電車の中の君たちは私が考えていることしか言ってくれないもんね。
でも、もしもドアが自動で開いたら私はきっと惰性で名前も知らない駅に降り立ってしまうから……だから、少しだけ。
君になるんじゃなくて、君になりたい私を許したい。私の中の君を、あの電車から降ろしてあげたい。
この電車は未だに止まる気配はない。いつか降りられるかな。
今日も私はTwitterであることないこと喚き続けてるただの面倒なオタクです。シンエヴァ公開したの3月だが?いつまでエヴァの話してるの?本当にこんなにずっとエヴァのこと考えてるとは思わなかったよ。エヴァについて私自身の言葉で話す日が来るとは。全然予想してなかったんです。エヴァだけは私は絶対深い話はできないなと思っていたんです。人生、何が起こるかわからないものですね。
エヴァのこと好きだって言えねぇなぁ~!嫌いなのかもわからねぇな~!わかりたいわけでもないけど!うがぁ~!
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
私にとって、あなたが、顔も名前も知らないあなたが、これを読んでくれたことに意味があるんです。勿論、私の話であなたにとっては単なる時間の浪費かもしれません。それでもありがとうと言わせてください。これはただの私の我が儘で、受け取ってもらえなくても構いません。
“私はここ数ヶ月で自分の脳内にすっかり、傀儡の碇シンジと渚カヲルを住まわせてしまってるんですが、前者はひたすら「その弱さを認めないからだと思うよ」「本当はわかっているんだろう」と言ってこちらを見つめてくるし、後者は私の話を黙って聞いた後「君は何を望むんだい」と微笑みながら聞いてくる”
(2021年7月14日の私(@noi7025)のツイート)
「キャラクターに自己投影して自分のこと慰めてんじゃねぇよ。大人になれよ」