検閲

nolimbre
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公開:2025/11/27

原則的には下ネタをインターネットに投稿しないようにしているのだが,そんな自分にも稀に,そういう内容を含む投稿をしたくなることがある。ダジャレや部分ツイートなどの言葉遊びでたまたまそういう系の言葉がうまくはまってしまったとか,思わず書きたくなる面白い出来事があったが内容的に避けて通れないとかいう場合だ。そんなときは,「検閲により削除」などと言ってその部分を書かずにすませたりとか,投稿そのものをせず,そういうのに寛容な友人の DM に放流したりしている。(いつもありがとうございます。)

そういった中でひとつ,一度は友人へ流したが,いまだに書きたい気持ちが消えないでいる話がある。そこで,検閲官には,今年まだ 1 日も取得していない有給をまとめて消化してもらうことにして,こっそり書いてみたい。嫌な人は(ここまで読んでないと思うが,読んでいるとすれば)引き返してほしい。また,検閲官が仕事に復帰してこれに気づいたら,以下の話またはこの記事全体を削除するかもしれない。

昨年の 12 月,僕はハワイでホノルルマラソンに出場していた。そのためだけに弾丸でホノルルに行ったのである。マラソンのルートの沿道には地元の人も多く応援に来てくれていた。激励のメッセージ入りの紙を持っている人,手の形に切り抜いたダンボールを差し出してランナーと「ハイタッチ」しようとする人,果物やチョコレートを差し入れしてくれる人……。

そして応援の人が少ないエリアに入ったとき,道端で露出度の高い服装をした 2 人のお姉さんが,ランナーに向かって何やら書いた紙を掲げてアピールしていた。観光やバカンスという雰囲気ではない。何だろうと思ったら,"Call us if you want to finish twice" と書いてあった。これには不覚にも笑ってしまった。もちろんマラソンの finish(完走)が 1 回目なのである。

なお読者諸賢の中には,直ちに電話し,マラソンの方の finish を 2 回目とする手はないのかと考える向きもあるだろう。スマートフォンを持って走る人も多いので,一見すると成立してもおかしくないかもしれない解釈である。しかしマラソン大会では通常,飲食物のエイド以外に身体的な援助を受けると失格になりうるものである。したがって,マラソン完走の前に援助を受けるこの解釈は成り立たないだろう。

書きたかった話は以上だが,もうこういう機会はないと思うのでもうひとつ小ネタを書いておきたい。

槇原敬之の「東京DAYS」という歌に,

「愛する人がいつか現れたら僕のひざの上にのっけてあげればいい その先はそれから」

と歌った直後,「子どもが生まれた」と言い出す部分がある。展開が速すぎるだろうとどうしても苦笑してしまう。

実際には「子どもが生まれたと友人が写真つきの葉書を寄越した」と全く別の話が始まっているのだが,いちど「展開が速すぎだろ」と思ってしまうとどうしてもその解釈が脳内にちらついてしまう。元凶は「その先はそれから」の部分だと思っている。