名詞の性という概念を持つ言語がある。たとえばフランス語の名詞は男性名詞と女性名詞の2つに分けられ,それを受ける代名詞や,修飾する形容詞の形がその性によって異なってくる。英語であれば,人間の男性や人間の女性を表す名詞を代名詞で受けるときはそれぞれ he, she を用い,モノを表す名詞を受けるときは it を用いるが,フランス語の場合はすべての名詞が男性名詞か女性名詞かに分かれていて,それが内容的に非生物を指していたとしても,その性によって he や she に相当する代名詞で受ける,という文法になっている。
ちなみに,インド・ヨーロッパ語族に属する言語の名詞としては,男性・女性に中性を加えた3性を持つのが元々の形で,時代を経るうちに言語によって性が統合されたり,されなかったり,そもそも性の概念がほぼなくなったり,なくならなかったりして今に至るようだ。古典語である古代ギリシャ語やラテン語はこの3性を備えている。現代でも,3性を残す言語はドイツ語やロシア語などいろいろある。
「性」という名前がついているが,別に男性名詞に属する名詞が男らしいとか,そういう意味ではない。文法上の形によって名詞が(たとえば)2つのクラスに分けられて,それに「男性」「女性」というラベルがつけられているだけのことである。ただ,父親とか姉など生物的性がはっきりした意味を持つ単語については,その生物的性によってどちらのクラスに入るかが決まることが大半で,生物的男性を表す語が入る方に「男性名詞」,生物的女性を表す語が入る方に「女性名詞」というラベルがついているというわけだ。もちろん例外はある。
そういうわけなので,名詞の性というのは単に文法上のラベルであって,無生物を表す名詞の文法的性は生物的な「男性性」「女性性」とは無関係である……ということになっている。なっているのだが,そうは言っても,自分が普段話している言語におけるある名詞の性が,その名詞の指すものへのイメージに影響することはないのだろうか,というのは自然な疑問だろう。日本語だけを母語とする自分には,そのあたりの感覚はよく分からない。それに,潜在的な意識の問題でもあるから,名詞の性の概念がある言語を母語とする人に聞けば正確な答えが分かるというものでもない。この問題に関しては心理言語学者における研究がいろいろあるようで,素人の僕が調べた限りではあるが,決定的にどちらかの結論になっているというものではないようだ。
名詞の性に関しては,忘れられない経験がある。
大学4年生の終わりの3月,僕は卒業旅行のつもりでイタリアに2週間ひとり旅をした。塩野七生『ローマ人の物語』に感銘を受けて古代ローマのファンになり,その遺跡を自分の目で見たいと思ったのだ。それで,まずはローマに5日間滞在し,残りの日程でシラクサという町と,イタリア北部のヴェネチアとミラノに行くことにした。シラクサというのはシチリア島にある町で,ここに行くためにはローマから一旦わざわざ南下しなければならない。旅程上は多少の無理があるが,それでも行きたかったのは,シラクサには古代ギリシャ時代から残る劇場があるからだ。古代ローマのファンであった僕は,古代ローマ人が文化的先進国として敬意を持っていたらしい古代ギリシャに対しても敬意を持っており,その遺構をぜひ見たいと思ったのである。(なお,古代ローマ人が学問としての数学の探究にどれほど敬意を抱いていたかは怪しい。シラクサはアルキメデスの出身地,そしてローマ兵に殺害される有名な最期を遂げた地でもある。)
さて,お目当ての劇場を無事に見ることができ,シラクサを発つために駅へ行ったところで事件は起きた。当初の予定では,シラクサからローマへ寝台列車で北上し,続いてローマからヴェネチアへ鉄道で向かうことになっていた。ローマ行きの寝台列車の寝台券は,ローマのテルミニ駅という,東京で言う東京駅にあたる大きな駅で購入済みだった。
その寝台券をシラクサの駅員に提示すると,少し駅員が緊張した面持ちになり,強い口調でお前は乗れないと言われた。理由を聞くと何やらイタリア語で説明してくれているようだが複雑で聞き取れない。そのうち寝台券の特定の部分について何か言っていることが分かり,そこをヒントに考えていると,なんとその寝台券は女性専用エリアの客室の切符なのであった。それは乗れないわけだ。駅員さんは正しい。
駅員さんが正しいのは分かったが,その寝台列車に乗れないのは困る。ここらへんで,近くにいたイタリア人っぽい英語が堪能な兄ちゃんが通訳を買って出てくれた。本当にありがたい。どこで寝台券を手に入れたのかと聞かれたが,僕本人がテルミニ駅で買って,その場で係の人が発券してくれたものだ。確かに僕もよく確かめなかったのは悪かったが,そもそも係の人の発券ミスではないだろうか。しかし,そうだとしても,とにかくローマ,そしてヴェネチアに行けることが最優先だ。どういう手段があるか尋ねると,寝台列車で行くなら,今日のも明日のも満席だから2日後の便に乗るしかない。それか普通の急行で行くかだが,ともかくもう1日はシラクサに泊まれということだった。
実はそのあとどうしたのか,はっきりと覚えていない。1泊して翌朝出発したのだったか,何か発車ぎりぎりで席の空きが出たとかで,ホームを走ってその日の寝台列車に乗せてもらえたのだったか,何か両方の記憶があるので,他の記憶と混ざってしまっているのだろう。何らかの理由で余計にお金を払ったような気もする。ともかく,翌日の夕方にはヴェネチアに着いていたはずだ。
女性専用エリアの寝台券の話に戻る。そのときは単に係の人の発券ミスだろうと思っていたが,後日,あることに気がついた。僕はイタリアではできるだけイタリア語でコミュニケーションを取りたいと思い,事前に少しだけイタリア語を勉強し,本当に初歩的な内容ならば話せるようになっていた。それで,ローマのテルミニ駅で寝台券を買うときも係の人に,この日のここからここまでの寝台列車の biglietta(ビリエッタ)を買いたい,という旨を拙いイタリア語で伝えていた。(biglietta 以外の部分もイタリア語で言っているが,ここで日本語で書いたのは読者への配慮ではない。何と言ったか僕が覚えていないのだ。)
イタリア語も,名詞の性という概念がある言語で,名詞はすべて男性名詞と女性名詞とに分かれる。幸い,イタリア語の名詞にはその見た目で性を判別できるものが多い。特に -o で終わるのは男性名詞,-a で終わるのは女性名詞というのが大原則で,例えば risotto(リゾット)が男性名詞,pasta(パスタ)が女性名詞であることは見るだけで分かる。
それで,切符という意味の biglietta(ビリエッタ)という名詞は女性名詞だなぁと思いながら話していたのだが(名詞の性を意識しないと使う冠詞も決められない),後日気がついたのは,実はこれが僕の覚え間違いだったということだ。biglietta というイタリア語単語は存在しない。正しくは biglietto(ビリエット)というのだ。男性名詞である。
この勘違いに気がついたとき,あのお世辞にも愛想が良いとは言えないテルミニ駅の係の人と対峙した記憶が蘇ってきた。イタリアでは,アジア人に対する人種差別的な意識を持っている人も,それを態度に出すかどうかは別としてちょくちょくいる。男性名詞を間違えて女性名詞の語尾にしたからと言って女性専用エリアの座席になるなどという文法はないが,イタリア語の下手なアジア人に苛立ってそのような意地悪をしたのではないか,という仮説が急に僕の脳内に湧き出てきた。
真相は不明であり,確かめる術はない。僕の考えすぎで,実際には単純なミスだったかもしれないし,僕のイタリア語が下手すぎて意思疎通ができていなかったのかもしれない。しかし名詞の性という概念とシラクサ駅での出来事,そして男性名詞 biglietto は,今も僕の中で分かち難く結びついているのである。